20年前の車中泊
風呂はどこにでもあった。さすが地震大国。
行動範囲が広がるキッカケとして、免許を取って車に乗り始めることが最上位に挙げられる。違う?どこまでも続く線路の上を駅から駅へ向かうのも同じことだが、車は自分で運転する。
私が車の免許を取ったのは19の時で、いわゆる自分の車に乗り始めたのは24の時だった。親の言い付けを守って我慢していた。周りにはもちろん車持ちはいて、そんな所まで行って来たのかと話を聞きながら思いを馳せたものだ。
最初の車はSUVタイプだった。ほんとはハッチバック型が欲しかったが、そんな古い車は売れないと言われてしまった。が、後部座席を前に倒せば荷室からフルフラットになる。これがわたしにひとり旅を後押ししていたんだろう。
とにかく、できるだけ海沿いを走りたかった。四国を一周したときは、佐多岬、足摺岬、室戸岬、蒲生田岬に立ち寄った。東西南北の最果てに辿り着きたかった。
すごく印象良く覚えている場面がある。宇和島にて、赤信号で停車した時に直ぐ横の学校からブラスバンドの演奏が聞こえてきた。このほんの数分無いくらいの瞬間、信号が変わるまでの時間、あれはどんな言葉にすれば良いのか、どれもしっくり来ない。またそこに再訪できたら、ここだと思い返せるのだろうか。
あの車で四国を一周して、中国地方をぐるっと周って、瀬戸内海、紀伊半島、九州の上半分は周った。西日本はあと、九州の下半分くらい。とにかく陸の端の端まで、いつかの誰かが敷いたアスファルトがある。そして同じような生活があると思った。
当時はガソリンが ¥100/L くらいだった。ご飯はほぼコンビニで済まし、車中泊はMapionで公園とかを探した。500km/日 ほど走って毎日給油して。通った道をMapionに赤ペンで塗り辿るのが楽しかった。
これだけ走ると、流石に日数が取られる。九州の上半分で10日掛かった。仕事に追われする内に、要は暇が無くなったので、わたしの車中泊ひとり旅は、九州一周するつもりが日数が足らず上半分で切り上げた、が最後となった。