幸せには頭打ちがあって
こんにちは。
炊いた米が美味かった、そんな話。些細なことからネタが拾えた。コンビニの食パン、レンチンのご飯、パスタでここ一週間ほど凌いでいたら、久し振りに炊いた米が美味かった。十分だった。
考え方に依るのだろうが、幸せに頭打ちがあるのだとしたら、より幸せになるにはその逆の腹ぺこを更に腹ぺこにすれば叶うのではないか。いや、そういう事を気付かずしていたのではないか。
サウナの後の水分補給。蛙化もそうではないか?
幸せに、なってしまう。
だから、結婚式の『幸せになります』はある意味、覚悟の言葉とも取れる。
幸せに頭打ちがあるのだとしたら、そう思い出すといろいろ説明が付いてくる。
まだ炊いたご飯は残っていて、後で食べた時には今ほどのことを思うのだろうか。
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