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ある日の登山
(人に依っては気分を害される内容かも知れません。登山は自己責任。この言葉の重さを自重するものになりました。ノンフィクションです。)
このお盆休みは、実家の仏壇に『飲むな』の貼り紙をした一升瓶を置いて、移動を入れて一週間ほど山ばかり県に行っていた。大した準備もしていないのに、資金は無いに等しいのに、一度練った登山計画を崩して、結果『行って良かった』。
山に登る日の出来事は、日によってそんなに変わるものではなく、しかしこの度の事は少しトラウマになり、山は危ない『安全が作り切られていない』粗野な場所だと身に染みた。ハッキリ書くと、転落の場面に遭遇した。初日だった。
基本的にピンクテープやらペンキのマーキングを頼りに、踏み跡のある登山道を踏んで行くのだが、今回の件は何もそこから外れていた訳ではない。登り下りのすれ違いの際に、道を譲った側が下がり過ぎて、道端の草木を踏んでしまった。それが何故いけなかったのか。
転落されたのは女性。高齢者。家族と3人で来られていた。自らすすんで山に行く、というよりは付いて来た側ではなかったろうか。邪魔になってはいけないと、結果下がり過ぎてしまった。否、そこが登山道でなければバランスを崩して転落なんて事は起きなかった。
山は危ない。安全が作り切られていない、粗野な場所だ。道端の草木のその下に地面はなかった。そして電波状況もすこぶる悪い。あと2時間は掛かるであろう小屋までの急登を登るしかない。落ちたのは雪渓下。登るしかなかった。
少し休んだ後、登り始めると上から駆け下りて来られる方とすれ違い、それでも登っていると救助のヘリがやって来た。どなたか先行された方が少しの電波を拾って小屋に連絡して下さったのだろう。暫し立ち止まり様子を見ていた。物珍しさからスマホを向ける者もいた。
急登と向き合う私の背後で、ヘリが旋回し遠退いて行った。到着してから30分も掛かってない。諦めたのか。そのあと私は私で、いつの間にか外れたハイドレーションの取水口を探していた。
結局、取水口は見付からず、2日目にはザックの前止めも外れてしまった。道具が万全に使えない状況。致命的ではなかったが、想定できていなかった。
その日の夕刻、やっと着いた山荘は少なからず電波があり、バッテリーを気にしながらスマホ作業に勤しんだ。そこで今回の事故にまつわる記事を目にした。繰り返し読んだ。助かった。程度はあれど、助かった。
山に登る日の出来事は、日によってそんなに変わるものではなく、しかしこの度の事は少しトラウマになり、山は危ない『安全が作り切られていない』粗野な場所だと身に染みた。