山手樹一郎『恋染め笠』が紡ぐ江戸の粋と愛
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いや、これを語らずしてどうするんですか、山手樹一郎ですよ。昭和初期から戦後までと幅広く、大衆文学の黄金期にその名を刻みつけた作家中の作家。作品数も300を超えている(私が数えただけの数で、本当は400を超えるらしい)当時の大人気作家。
やまて・きいちろう
知らない?
大丈夫、だって、ついこの間まで私も知らなかった。詳しく知りたければ、Wikiを読むといいんだけど、
雑誌編集者として山本周五郎などを担当しながら兼業作家して活動し始めたのが30代に入ってからで、専門作家になったのは40歳を過ぎてからって、これだけ聞いてもワクワクしてくるでしょ?しかも本名だと会社に兼業がバレるとやばいので、偽名の「山手樹一郎」として執筆してたら、人気が出過ぎてライバル雑誌社から執筆依頼があって困ったという逸話もあるし、どれだけの人気かといえば、なんと映画化61回だけじゃなく、舞台化4回、ラジオドラマ化10回、テレビドラマ化10回って、もーあり得ないでしょ?
昭和30年代の貸本屋でも、あの吉川英治や横溝正史をおさえて、山手樹一郎の作品はどんなもので1位を獲得していたと言う人気ぶりからも、いかに大衆から支持を得ていたかがわかるよね。(影山亮. "「新・山手樹一郎著作年譜」 およびその制作過程." 立教大学大学院日本文学論叢 13 (2013): 155-218.)
そうそう、誰もが知っている山手樹一郎作品のテレビドラマといえばといえば、
高橋英樹が演じた「一つ、人の世生き血をすすり、二つ、不埒な悪行三昧、三つ、醜い浮世の鬼を、退治てくれよう、桃太郎」で有名な
桃太郎侍の原作者が山手樹一郎(やまて・きいちろう)
でも、この決め台詞は、原作の中には入っていなかったのよね(一生懸命読んで探した)、テレビドラマの脚本家が作ったセリフらしい。そもそもストーリーが全然違ってたよ。
今までも「大衆文学」って言葉は聞くけど、具体的なイメージはなくて、なんとな〜く大衆酒場とかの世俗的で下卑た騒がしい俗っぽい軽〜い感じがするんだけど(個人の感想です)、実際に大衆文学と呼ばれたのは、あの宮本武蔵の吉川英治も、岡本綺堂も、野村胡堂も、江戸川乱歩も、柴田錬三郎、山本周五郎もそして山手樹一郎も、大衆文学作家だったのだ(もっともっとたくさんいます)。大衆文学は当初は時代ものや歴史小説ばかりだったそうだが、そのうちに探偵小説も推理小説も恋愛小説も全て飲み込んでいく(らしい)。
つまり、一言で言うと、「大衆文学とは、みんなが楽しめる物語を求めて生まれた、時代の中で育った娯楽」のことだと私は思う(個人の意見です。
で、そんな山手樹一郎の作品群、時代小説の中に推理と恋愛と冒険活劇の数々が1冊に詰め込まれている、と聞いても
「でも昭和の作家なんしょ? いま令和っすよ」
と思ったそこのあなた。甘い、甘すぎる。それだけで済む話なら、私も含めて、こんなに多く?の人が「山手樹一郎沼」にずぶずぶ浸かるはずがないのよ。彼の大衆小説は、もう一度足を踏み入れたら最後、抜け出せない底なしの沼。
そしてね、その沼のラスボス、最深部に堂々と君臨するのが『恋染め笠』なんですよ(いや、これ一冊じゃなくて、底なし沼の底にはまだまだ多くの作品が転がっている)。
だから、まだ山手樹一郎を読んだことがない人には、『恋染め笠』なんて沼が深すぎるので、読まないほうがいい、きっぱり断言する、読んじゃいけない、読むな!
そもそもKindleになっていないから古本を買うか、図書館で借りるしか読む方法がないのだ。
それでも、もしも、山手樹一郎を読むならば、まずは「夢介千両みやげ(上下二巻)」が入門編としていいだろう、私もこれから読み始めた。そのおかげで、私はここから沼に落ちたから、おすすめだww
↑これって上下別々に買うと300円ずつで600円で済むんだけど、上下合本版だと何故か1815円もするのよ、なぜ?何かの罠?
山手樹一郎という作家の深淵《しんえん》へ
「大衆文学」の山手樹一郎の作品は、力強さと繊細さが同居している稀有な世界。背景の描写や人物の動き一つひとつに、温かい人情が滲み出ていて、それがまた読者の心をぎゅっと掴んで離さない。
で、この『恋染め笠』という作品。江戸の情緒があふれる街を生き生きと描いていて、粋な会話劇、人間模様、謎が絡み合った濃密なストーリー展開が魅力で、特筆すべきは、その描写力。江戸という時代の空気感、匂いを感じさせてくれて、人々の暮らしをここまでリアルに語れる作家はそうそういません。読んでいるうちに、現代の喧騒を忘れてタイムスリップした気分に。
物語をネタバレなしに紹介するので、読み進めても大丈夫、安心して。
鮎太郎は、一見すると飄々としてて、何考えてるのか掴みどころがない。でも、その軽い感じの奥には、誰かを守るために動く強い責任感と、どんな困難でも乗り越えてやるぞっていう芯の強さがしっかりあるんだよ。例えば、お夢さんが記憶を失って震えてるとき、鮎太郎が彼女にかけた一言一言に、包み込むような優しさと人を安心させる力が滲み出てるのね。
で、お夢さんのほうも、これがまた謎めいた存在。記憶喪失で、自分が何者なのかすらわからない彼女なんだけど、無邪気な仕草の中にどこか高貴な雰囲気が漂ってて、「この子、何か重大な秘密を抱えてるな?」って思わされ、彼女の無垢さと謎が絶妙に絡み合って、読んでるこっちの想像力を全力でかき立ててくるわけ。
で、二人の関係性も面白って、粋で軽妙な会話がテンポよく繰り広げられる中で、実は深い信頼や絆がじわじわと見えてくる。このダイナミクスが物語が進むにつれてさらにハッキリしてきて、「この二人、一体どうなっちゃうの?」ってどんどん気になってくるのよね。
『恋染め笠』――冒頭から溢れる粋と人情の香り
さあ、いきなりですが物語の冒頭。一文目から強烈なんです。
どうです、この短さで、江戸の夜の情景が目の前に広がる感じ、しません? 縄暖簾が揺れて、その向こうから酒の香りが漂ってきて、店の中では人々のざわめきと笑い声が響いている。もうね、この一文で「江戸の夜」が目の前で動き始めてる。
で、舞台は「山十」という酒場。この店がただの飲み屋じゃない。芸人、町人、剣客、果ては吉原へ向かう人たちまで集うこの場所が、まさに江戸そのもの。そしてね、この酒場でさりげなく登場するのが、主人公の鮎太郎(あゆたろう)。こんな名前ですが、彼がもうね、粋なのよ。酒をあおりながらも周りを見渡すその飄々とした態度。ああ、この人ただ者じゃないなって匂いがぷんぷんする。
粋と艶が交錯する――女芸人・江戸屋紫
さて、この物語を語るうえで欠かせないのが、江戸屋紫(すごい名前だよね)という女芸人の存在。彼女がまたね、粋で艶やかで、そしてどこか影を引きずっている感じがたまらない。酒場の喧騒を背景に、紫が鮎太郎に
「兄さん、お一ついかが」
と声をかけるシーン、これがもう最高。彼女の立ち振る舞い、媚びるような仕草、流れるような目線と軽妙な語り口が見えるよう。そこには、ただの会話以上の何かが滲み出ているんです。
紫の生き様が垣間見えるこの瞬間。彼女が背負っているものが何かはまだわからないんだけど、ただの軽口じゃない、何か深い事情がありそうだってことが伝わってくる。そして、鮎太郎との掛け合いが軽快なのにどこか切ない。これがまた物語全体の伏線になっていくんですよ。読者の想像力をかき立てる筆致、これぞ山手樹一郎の真骨頂。
江戸の夜が生きる――音と光のハーモニー
そしてね、山手樹一郎の筆がすごいのは、ただ舞台設定を描くだけじゃないってこと。彼は江戸という街そのものをキャラクターみたいに描くわけ。酒場のざわめき、遠くから聞こえてくる三味線の音、行き交う人々の足音。そういうディテールの積み重ねが、江戸の街を生きたものとして読者の目の前に立ち上がらせるんです。
例えば、こんな描写
ね? これを読んだだけで、江戸の裏通りの静けさと喧騒のコントラストが浮かび上がる。物理的な情景だけじゃなくて、その中に息づく人々の暮らしまで感じさせるんですよ。この筆致がね、もう大衆芸術なんですよ(たぶん
粋と人情が交差する――鮎太郎とお夢さんの交流
物語のもう一つの軸が、主人公・鮎太郎と謎の少女・お夢さんの交流。このお夢さんがまたね、ただのヒロインじゃない。記憶を失った彼女を介抱する鮎太郎の姿は、粋でありながらもどこか温かくて暖かくて、優しい。それが江戸の人情そのものなんで、、、お夢さんも本名じゃないし、その謎も深まっていく。
例えば、そのお夢さんのこんな描写も
この一文だけで、お夢さんというキャラクターの背景、育ちや謎めいた雰囲気が伝わってくる。そしてね、彼女が地球儀を人形みたいに抱いて遊ぶシーンとか、もう胸がぎゅっとなる。というか、地球儀を人形に見立てる少女ってぶっ飛んでるでしょ、もうね、意味不明に近いんだけど、物語を読みすすめると彼女の無邪気さと謎が絡み合って、物語全体に一層の深みを与えてくれるわけ。
ミステリーと粋が融合する――物語の核心へ
ただの人情話で終わらないのが『恋染め笠』。この物語には、寺での謎の事件や敵対者との駆け引きといった、スリリングな展開が仕込まれ、鮎太郎が敵の目をかいくぐるためにお夢さんを男装させるシーンなんか、
この一言に込められた鮎太郎の覚悟、もう手に汗握るのね。そして、それを取り巻く緊張感が、物語を一気に加速させ、、、
未来の山手樹一郎ファンへ
さて、ここまで読んだあなた。もうわかりましたよね?
この『恋染め笠』を読むという行為は、江戸の街に迷い込み、その中で生きる体験そのもの。言葉の一つひとつが心に響いて、物語が終わったあともその余韻が消えない。もうただの小説とかじゃない。
山手樹一郎という作家は、ただの昭和の大衆小説家ではなく、なんというか、物語を体験に変えてくれる案内人だ。この沼に飛び込めば、きっとあなたも彼の虜になる。
2024年12月15日現在、「恋染め笠」を読みたくてもKindleでは提供されていない。古本を買っても、もう60年以上前の本に大枚叩くくらいなら、
『山手樹一郎自撰集』第13巻 (恋染め笠),桃源社,1957. 国立国会図書館デジタルコレクション (参照 2024-12-15)で、早くて無料で読んだほうが気持ちいい。
私は、この国立国会図書館デジタルコレクションからPDFをダウンロードして、SONYデジタルペーパーDPT-RP1で読んでいる、快適で楽しい。
つづく
次にお会いするのも、また、この沼の深奥で。
お待ちしています。