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夢の中のアムリトサル <インド#6 アムリトサル>

インド最後の旅で、アムリトサルに来た。

美しい黄金の寺院と水面の光景を背景にシーク教の御経の音色が響く。巡礼者が静かに祈りを捧げていた。

アムリトサルに着いた日の前日から風邪気味だったし、フライトが早かったこともあって寝不足だった。

そんな自分の体調もあってか、アムリトサルの黄金寺院で、音色を聞きながら黄金寺院と巡礼者たちを眺めていると、どこかふわふわした感覚になった。

聖地というのにも色々なパターンがある。

現地の人々にとって真に宗教的な場所で、部外者が足を踏み入れるとどこか居心地が悪い場所。

反対に、すっかり観光地化されてしまっており、観光パフォーマンスとしての宗教的儀式が逆に俗っぽさを強調しているような場所。

アムリトサルの黄金寺院はそのどちらでもなかった。

黄金寺院は真に宗教的な場所であり、現地の人の宗教心に深く結びついているにもかかわらず、部外者である旅行者を受け入れる場所だった。

自分は限られた外国人旅行者であったが、いたずらに干渉されることもなく、かといって無関心というわけでもなく、とても居心地がよい場所だった。

ちょうど頭が回らない状態だったこともあって、水辺に腰を下ろして黄金寺院を眺めていると、ふと今ここで何をしているのだろうという気分になった。インド滞在がほぼ終わり最後の旅であったことから感傷的になっていたことも影響したのかもしれない。

このふわふわした感覚は、良い雰囲気でお酒を飲んでいるときと同じだ。例えば、仲のいい友人と焚き火を囲み静かに話しながら飲んでいるとき、登山に行ってお風呂上がりに夕方の居酒屋で一杯飲むとき。

自分はドラッグ(海外で合法なもの)はやったことがないが、ドラッグでトリップする感覚もひょっとすると近いのかもしれない。

インドでは日本に比べてお酒を飲む人は少ない。イスラム教ではお酒を飲めないし、ヒンドゥー教でも飲酒することは推奨されていない。インドの酒店では隠れたようにアルコールを売っていたり、ドライステートというアルコールを売っていない州もある。

古くはアーリア人がもたらしたバラモン教、釈迦が悟りを開いた仏教、バラモン教が世俗化して民間信仰と結びついて成立したヒンドゥー教、中央アジアから伝わったイスラム教など、インドは宗教の大国である。

日本にいると宗教的な事柄を意識することは少ない。精神的な安らぎを求めるために神社や寺に行くことも少ない。

アルコールやドラッグでトリップできないインドでは、人々は宗教的儀式により、日々の精神の安定を保ってきたのかもしれない。そんな乱暴なアイデアを思い浮かべながら、あと少しのインドを惜しむように、黄金寺院を見続けていた。

座りながら黄金寺院を見る
沐浴する親子
ライトアップされた黄金寺院。夜の方が綺麗。
City Hall
黄金寺院の無料食堂で昼食をいただく
アムリトサルからツアーで行けるパキスタンとの国境(ワガ国境)
ワガ国境でのパフォーマンス


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