自主映画、猫の餌入れ
・私はどうも自分が当事者でない人の物語を書こうとする時に罪悪感を感じてしまう。まるでその立場にいる人を消費しているような気がしてダメだ。
・シナリオコンクールの二次に落ちた。いちいち落ち込んでる場合ではない。
・Twitterで流れてきた猫がご飯食べてる動画の餌入れが、私が普段使ってる皿と一緒だった。
・ここ最近、縁あっていろいろな若者が作った自主映画を観ている。すごく刺激をうけたし、そろそろ私も何か作らなくてはとほんとうに思った。一年前に映画を撮ってから、なんとか今日までずっと映画に触れ、脚本を書くということを続けられている。周りをそういう環境にカスタマイズしていく、つまり、映画や創作がありふれている環境にカスタマイズできてきたことがすべてだと思う。
・ディズニー+で近年のディズニー名作の実写化を一気見した。「美女と野獣」の、あのラストの、野獣が死んでしまい同時に他の者たちも人間の意識が消えてしまうところ、よかった。
最後の最後に大事な人のそばに駆け寄り、気持ちを伝える。自分も死ぬ時、こんなふうにその時大事な人の名前を呼び、ありがとうとかきみといられてよかったとか、とにかくずっと言いたかったことを言うのだろうと思った。
・増村保造の曽根崎心中を観た。最初から最後までノンストップで面白かった。話自体はシンプルであるが、なんでこんなに1シーン1シーン惹きつけられるのだろう。梶芽衣子のキッとした目つきと声。あと関係ないけど昔の宇崎竜童、令和ロマンのくるまにめちゃくちゃ似てるな。