私の中にも海がある
騒々しい都市が消えた。
多くの人々が一堂に会することがなくなった。
私は、私たちの一部ではなく私とあなたの対になった。
今までいた、たくさんの私はするすると、たったひとつの私に収束していった。
特にひとりでいるときに多いのだが、自分はなにももっていないように思えてしまうことがある。
でも自分の中の仕舞いこんでた物語に触れたとき、色彩があふれて、私の中にも海があったことを思い出す。さいきん、それがない。
私はふと、大きな、身の丈の何倍もある波が起って、やにわに女の姿が呑みこまれ、消えてしまったのを見た。私はその瞬間、やにわに起った波が海をかくし、空の半分をかくしたような、暗い、大きなうねりを見た。私は思わず、心に叫びをあげた。
坂口安吾 「私は海をだきしめていたい」
コロナがはじまってから、人とリアルで会うことが難しくなった。
ひとりで過ごす時間が増えると必然的に、過去を振り返ったり自分について考える時間が増える。そこで初めて、私は未来のためにばかり生きていたことに気付く。
ずっと、明日も世界は地続きだという前提で生きてきた。明日のための今日で、未来のための今だった。でも、世界が一瞬一瞬で分断されていて一瞬から次の一瞬につなぐことの成功がほんとうに可能性の低い、奇跡とも呼べるものだとしたら。
未来のことを考えている場合じゃない。
私はもっといまにコミットしたほうがいい。
このいまがあればその他のことなんてどうだっていい、すべての一瞬をそういう瞬間にしなくちゃいけないと切実に思った。
私は 、いま 、多少 、君をごまかしている 。他なし 、君を死なせたくないからだ 。君 、たのむ 、死んではならぬ 。自ら称して 、盲目的愛情 。君が死ねば 、君の空席が 、いつまでも私の傍に在るだろう 。君が生前 、腰かけたままにやわらかく窪みを持ったクッションが 、いつまでも 、私の傍に残るだろう 。この人影のない冷い椅子は 、永遠に 、君の椅子として 、空席のままに存続する 。神も 、また 、この空席をふさいで呉れることができないのである 。ああ 、私の愛情は 、私の盲目的な虫けらの愛情は 、なんということだ 、そっくり我執の形である 。
太宰 治「思案の敗北」
もっと今にコミットして充足感を得るためにはどうすればいいのだろうか。そのために必要なのが、感情の解像度を上げることなのではないかと思った。
今まで私は、けっこう自分の感情を蔑ろにしてきた。
億劫だからだ。理不尽なことに怒ったり、辛いことを真正面から受け止めて泣いたりすることが。涙を流したり、喉のあたりが熱くなるのが耐えられない。ネガティブな感情もそうだが、ポジティブな感情も然りだ。
幸せすぎたり、誰かに超優しいことを言われたりすると何故か逃げ出したくなる。私はそんなに受け取れない、と思ってしまう。
嬉しいことも悲しいことも、ちゃんと感じて、自分の中に仕舞って、時々取り出して眺めるってことをしなくちゃいけないんだろうと思う。
私は人生を見渡しても何もほしいものはなかった、が、この紫色の火花だけは、凄まじい空中の火花だけは命ととりかえてもつかまえたかった。
芥川龍之介「火花」
たぶん私の中には、そういう、ちゃんと味わうことをせずに雑に投げ捨てた感情がたくさんあるのだと思う。しずかな海のイメージが浮かぶ。
波紋を投じなくてはいけない。
一度生じた感情について反芻したり、昔を思い出したりすることで。
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