ギヨーム・ブラックの夏 宝島

一体これはなんだったのだろうと思った。はじめの10〜20分くらいは台本のある映画なのかと思っていて、それはドキュメンタリーのような”意味のある”ことを誰も話していなかったので。まるでみんな演技をしているように、演技をしているようにというのは、わざとらしいとかフィクションらしいとは真逆の意味で、むしろどこまでも現実に近い、という意味である。
役者でない人が出ているドキュメンタリーはどこまでいっても演技っぽくなる、と思っている。
一体これは、何を見せられているんだ、と思った。ふだん生活している中で、たとえば電車に乗っている時、前に立っている二人組の会話を断片的に聞いているような。喫茶店で隣のグループの会話に聞き耳を立てているような。
その一瞬一瞬がすごく丁寧に切り取られて並べられている。水の波紋が綺麗だ。
湖に浮かぶ、人工的なオレンジ色の浮きがほんとうに綺麗だ。
これから調べようと思っているけど、なんでこんな映像が撮れたんだろう。
1〜2人くらいしかカメラを見ていない。
まるでそこにカメラがないように人々は振る舞っている。もしかして、監督は幽霊なのかもしれないと思った。それともやっぱりこれは、よくできた台本のある映画なんだろうか。
あと、子供の頃田舎で軽トラの後ろに乗って移動したこととか、夏のプールがこわかったことを思い出した。登場人物たちのモノローグは結構退屈だったので、その間に瞑想的にいろんなことに思いを巡らせていた。

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