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そういえば、はじめまして。 ―paul―

私たちがatriumとして文章を残すようになって4か月。
そして先月に初めてライターの自己紹介を行った。

しかし、実はこれでは自己紹介は不十分。
冒頭に「私たち」と記したように、atriumは主に2人で活動している。

そういえば、はじめまして。
今日はatriumの中の人②について、記しておこうと思います。

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自己紹介って何のためにするんだっけ?

この文章を書く上でまず思い当たった。

頭に思い浮かべるいわゆる普通の自己紹介は、『出身は〜で、趣味は〜で…』といった具合のものだ。

この類の自己紹介は、聞いてくれる人との人間関係を潤滑にするためのものだと思う。

例えば、出身や趣味が同じ人がいればその話題で会話ができるだろうし、相手の基礎情報を知っていれば、その人との接し方もなんとなく推し量れるだろう。

ではここに記事として書く自己紹介はどうか。

読んでくださる人たちとの人間関係のために書いているわけではない。
どんな考えの人が書いているかを知ってほしいから自己紹介をするのだ。

となると、教室で出席番号順に行っていた自己紹介とは性質が違う。
私がどんな哲学をもって生きているのかを示したいのだ。

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と言っても、そんな大層な哲学を内部に秘めているわけではなく、それとなく暮らしているのだが、そんな私でも自分の中の哲学を認識する瞬間がいくつか存在する。

まずは何かを決断するとき。

私は自分の中にもう一人自分を飼っている。
と、思っている。

これは性格の表裏といった話ではなく、理想像が自分の中にはっきりある、ということだ。

私には「幼いころ憧れた大人」の姿が自分の中にある。
この姿を本当の自分と照らし合わせることで、難しい質問や決断もわりとスムーズに回答できる。


例えば大学3年生の頃、人生の一大イベント「就活」が訪れた。
恥ずかしながら私はそのタイミングが来るまで、自分の人生とまっすぐ向き合ったことがなかった。

一般的にはどこかの会社員となる場合が多いだろうし、私もそうなるのだろうと思っていた。

しかし、私の本当にやりたいことってなんだったっけと考えだしたら、いくら就活の情報サイトを見ても内容が頭に入ってこなかった。

そこで自分の中の声と向き合い、理想の姿について考えた。
すると、悩むことなんてなかったかのように答えが出た。
もう一度、学校に入ろうと。

周りの人から遅れを取っている気持ちや、全く違うことを学び始めることへの躊躇いもあった。

それでも幼い頃の私が目指す姿になるためには、もう一度学校に入るべきだと確信のようなものがあった。

そんなこんなでまだ学生をやっているのだが、この時の決断が正しかったのかはわからない。
働いていた方がよかったかな、と思ったことも何回か、いや、結構ある。

それでも私は、決断を下した当時の私の考えを尊重しているし、後悔もない。


自分の中の哲学を認識する瞬間エピソード②

私には自分の哲学を見せ合える友人、が存在する。

大学で出会ったその人とは、気が付いたら仲良くなっていた。
なんとなく自分と考えが近いだろうことは最初から感じ取っていたので、類は友を呼ぶ的なものだったのだと思う。

仲良くなっていく中でたくさんお話してきた。

話の内容は様々だった。

電話ボックスって良くない?カーブミラーって良くない??
エヴァンゲリオンを見たいのですが
「居場所」ってなんだろうか
この歌の歌詞はこんな意味じゃないだろうか
点と線はどちらが先なのか……

哲学的なことからくだらないことまで、日常の会話の中で友人の考えや生き方を知った。

それだけではない。

それと同じかそれ以上に、自分のことも知っていった。

そしてわかったことの一つとして、私はかなり前向きに能天気に生きているらしいということだった。

きっと何を選んでも後悔はする、だから好きなことをやればいい。
落ち込むようなことがあっても、なるべく早く立ち上がる。そっちの方がかっこいいから。


何百、何千もの会話から生まれた自分の言葉が、思考を固め、哲学を作り、人生を彩るのだろうと思う。


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日々、自分の人生の行方をそれとなく辿っている。

そして今では、哲学を共有できる友人とともに、ここatriumで文章を書いている。

おそらく私は、曖昧さから生まれる美しさを大切にしたいのだと思う。

atriumの一員として、立ち止まった時に思わず見つける道端の花のような、必ずしも必要ではないけれど、きっと誰かに気に入られる、そんな文章を書きたい。


こんな私ですが、そういえば、はじめまして。
改めてどうぞよろしく頼む。


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