「Jazzは民主的」「Jazzは禅」トーベン・ヴェスタゴーの世界 【その1】
トーベン・ヴェスタゴーのウェブサイトの表紙に書かれたこの文言。
彼の、ジャズ、そして音楽と向き合う姿勢を如実に表す言葉です。
デンマークでも、多くの人たちに愛されているジャズ。
サッカークラブやハンドボールクラブと同様に、多くの町にミュージックスクールがあり、気軽に楽器演奏や歌うことについて学び、生の音楽にふれる機会が身近なデンマーク。
こうした環境で、ジャズベーシストとしてだけでなく、ミュージシャン、作曲家、音楽を教える教育者としての役割も担うトーベン・ヴェスタゴーに、ジャズについて、音楽について話を聞きはじめたら、話は禅、そして教育にも広がっていきました。
音楽との出会い
ニールセン北村朋子(ともこ):
いつから音楽に興味を持ち始めたのですか?
トーベン・ヴェスタゴー(トーベン):
僕は1960年生まれなんですが、10歳の頃から音楽に関心を持ちはじめました。その頃、ピアノも習いはじめて。ラジオから流れる曲を、当時はLPだったのですが、地域の図書館で借りたりして、割と早くから音楽には興味を持っていましたね。
音楽を聴くことと演奏することを、同時進行でやっていました。最初はピアノから初めて、だんだんギターやマンドリン、それからベースという具合に。
それで18歳の時、ベースを本格的にやっていこうと決心したんです。
ともこ:音楽には、町のミュージックスクールで親しんでいたんですか?
トーベン:ミュージックスクールにも行っていたけど、デンマークでは君も知っているように、小さい時からリズミックという、音楽に触れる体験があるよね?それが始まりかな。
僕にとって、音楽には2つの要素があるんだ。1つは、社会的要素。誰かと一緒にやる何か、という。そしてもうひとつは、音で夢の世界を描くような、そんな感覚。大好きな音楽の世界を旅するような、身を委ねるような感覚なんだ。そんな世界観がとても好きなんです。
ともこ:あなたは、まさに音楽を通して世界を見て、感じているんですね。
トーベン:そのとおり。大人になって、あとで気づいたんだけれど、音楽は、ある種の文化的表現方法のひとつだよね。日本には日本の、北欧やデンマークの民族音楽にはまた違った音や表現がある。アメリカのジャズも同様にね。こんなふうに、音楽は必ず生まれた場所の文化的背景の影響を受けているんだ。そのことには、以前は気づいていなくて、ただ音を、音楽を聴いていた気がする。
ともこ:今は、ジャズをメインに演奏しているんですよね。
トーベン:うん、でも、ジャズが他の音楽よりいいからやっているわけではないんだ。それでもジャズは僕にとって少し特別で、それはハイレベルな複雑さ、とでも言うのだろうか、そういうものが、いわゆる主流のポップミュージックよりあるところが特に気に入っている。主流のポップミュージックが決して嫌いなわけではないけれど、リズムとハーモニー、メロディがより複雑なのがいい。そこが僕にとってのジャズの魅力なんだ。これは好みの問題だけれどね。もちろん、他の音楽分野で素晴らしい演奏もたくさんある。でも、僕はこのレベルの複雑さが好きなんだ。
ジャズは民主的。その心は。
ともこ:あなたは、ジャズは民主的だと言っていますが、ジャズはまさに多様性の表現でもありますよね。
トーベン:そのとおりだね。もし、誰かが「どんな音楽を演奏しているの?」と聞いたとしたら、僕は「とても広いスタンスを持ったジャズ」と答えると思う。なぜなら、ジャズは他の文化をも吸収することができるから。もしかしたら、他の音楽のジャンルよりも。それも、ある種の民主的な側面だよね。ある人はジャズをこんな方法で演奏し、僕はまた違った形で演奏する。でも、ジャズであることには変わりはない。
例えば、僕の同僚でニューオリンズジャズが大好きな人がいるんだ。僕も好きだけれど、自分では演奏しない。僕はコンテンポラリージャズをやるのが好きなんだ。だから、僕の経験では、ジャズっていうのは、ほんとうに広いスペースがあって、誰にも居場所があるものという感覚だね。
ともこ:確かに、ジャズフェスティバルに行くと、あらゆる種類のジャズ音楽を聴くことができますよね。私の知り合いには、ニューオリンズジャズしか聴かないという人がいますが、私自身はコンテンポラリー・ジャズの方が好きですね。私の地元のMariboマリボでも毎年大きなジャズフェスティバルが開かれるのですが、本当にいろいろなタイプのジャズミュージシャン達が集い、彼らの演奏を聴きに、これまた多種多様な人たちが集まってきます。その風景を見る時、ジャズの楽しみ方は本当に多様だ、と感じますね。
トーベン:そうだね。ジャズが持つ、複雑性という要素を理解するためには、少し学ぶことも必要になってくるよね。僕自身も、18歳くらいまでは、ジャズはただうるさいだけだと感じていた。その頃は、ジャズが生み出すたくさんの情報を理解できなかったし、どうしたら理解できるのかもわからなかったんだと思う。一方で、例えばデューク・エリントンのような非常にクリアな表現のジャズでさえ、何が良くて何が悪いのかもさっぱりわからなかった。自分の経験から言うと、ジャズはどうしても聴くのに慣れることが必要だし、演奏する方もより多くの練習が必要になると思うんだ。
20代の頃は、ひたすら演奏の練習をして、自分の表現を身に着けようと必死だった。アメリカにも2度行って、1度目はロサンゼルスのミュージックスクールに1年、そして2度目はニューヨークのミュージックスクールに2年行って、その後3年半現地に残ったので、トータルで7年近くアメリカで音楽の演奏を学んだことになるね。その時間は、学校で学んでいるか、クラスメートとコンサートに出たり、それからとにかくたくさんの音楽を聴きに出かけて。だから、僕が音楽を正式に学んだのは、このアメリカでの7年ということになるんだ。
ニューヨークでは、たくさんの日本人のジャズミュージシャンとも連絡を取ったんだ。みんな、僕と同じ理由で、音楽の演奏方法を学びにニューヨークへ来ていたんだよね。ひとり、すでに日本に帰って優秀なジャズギタリストとして活躍している人を知っているから、後で紹介するね。
ニューヨークでもロサンゼルスでも、日本人だけでなく、ブラジル、アルゼンチン、アメリカなど、いろいろな国から学びに来ている人に出会う、多様な文化環境の中に身を置いた、とても貴重な体験だった。ニューヨークのオーケストラのひとつと組んで、日本でもいくつかコンサートをやって、日本の会社でCDも作ったんだよ。その時は、東京と神戸に行ったよ。僕ともうひとりは、そのツアーが終わっても1週間ほど日本に残って、観光客としていろいろな文化体験もしたんだ。とてもエキサイティングな体験だったよ。
予測不能性。
ともこ:日本では、いろいろなインスピレーションも得られたのではないですか?日本でもジャズはとてもポピュラーですしね。でも、デンマークと比べると、日本人はジャズを「大人の音楽」と捉えている人が多い気がします。そして、K-POPやJ-POPなどアジアのミュージックシーンを一般的に見ると、次に来る音の想像ができるような、シンプルな音楽が流行る傾向があるような気もします。日本や韓国の社会は不確実的要素が増えているようにも感じるので、次に何が出るかわからない音楽より、ある程度予測ができる音に安心感を覚えるのかもしれないと思ったりもします。
トーベン:おもしろいね。ジャズの大事な特徴のひとつは、予測不能性ということだと思うんだけど、それは、ある視点からみると、自由があるからできること、とも言えるよね。今の時点ではどんなふうになるかわからない世界に行けるという自由。もしくは、音楽がどこへ向かうのかという興味深さ。それが、ジャズの魅力なんだよね。もしかしたら、例えば毎日の暮らしに閉塞感を感じている人にも、聴覚を通して自由な浮遊の感覚を味わってもらえるんじゃないかと思うんだ。
ともこ:たしかにそうですね!音楽の世界に、普段の窮屈な世界にない自由を求める人と、反対に、もっと予測可能な安心感を求める人がいるのかもしれない。興味深いですね。
…次第に、話はJazzと禅のつながりについての話へ…【その2】へつづく。
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