ブラックアウトを思い出した
当たり前に使えていたものが、実は当たり前じゃないってことを思い出させてくれた。
家のある地域へ帰ると、真っ暗で。
蝋燭を使って、亡き義父の遺してくれたラジオのおかげで情報を集めることができた。
ブラックアウト直後は、なんだかみんなテンションが高かった。
「⚪︎⚪︎のガソリンスタンドなら、まだ入れられるって情報を私は持っているの!」
(ドルコスト法を知っていたので、価値が変動するものは、ちまちま買うようにしていた。ドルコストは、ちまちま購入がお得って話だったはず。だからガソリンはそんなに目減りすることはないので、どうでもいい情報だった)
それでも目減りするガソリンを見ると、不安になったが。だから焦る気持ちもわかる。
「車の保険でロードサービスをお願いしたら、Xリッタータダで入れられるから、呼んださ!」
(ロードサービスが必要な状態でもないのに、呼びつける意味がわからず、返答に窮した。生き方の方向性が違うっぽいので、距離を置かせていただいた)
そんな人たちの相手にゲンナリして帰宅すると、家人が烏龍茶2リットルのペットボトルを差し出して。
「コンビニでラスト1本だから買ってきた」ドヤ顔。
買い物に行く時間があまり取れない環境だったので、生協の宅配で定期的に飲料水は頼んであった。つまり、備蓄は腐るほどあったのに。
怒りはしなかったけど、不安になることで、みんなおかしくなるもんだな、としみじみ思った。家人は烏龍茶は飲まない人なのに。
その翌年には、コロナ禍という、訳のわからん状況が訪れる。その予行演習だったんだろうか。
私は保健室という場所で、真っ向から怒鳴られたり、崖っぷちで後ろから押されるような、怖い目に遭うことになる。(もう過ぎたことだから、書ける)
ただ、すごいな、と心から思ったことが一つ。
知的発達の遅れがあると言われている子どもたちを養護するお仕事をしていたのだが。
あの子達は、心乱れる大人より、はるかにいつも通りの様子だった。
動揺しているだろうと寮へ会いに行くと、とんでもなく平常運転なのだ。
その様子に、こちらが逆に冷静になれた。
感謝して、冷静になれて、思う。
彼ら彼女らにとって、ブラックアウトもコロナ禍も、いつもの日常も、どれも訳のわからん世界なのだ。
だから、突然電気が使えなくなろうが、意味がわからんマスクを強要されようが、いつも通りのリアクションで過ごせるのだ。
強いな、と、思った。