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母と叔母の実家へ行ってきた(その2)
1.前に聞いていた話
実家に行く前に、こんな話を聞いていました。
「母の実家は、もう畳んでしまった」。
小さい頃に訪れた母の実家、周りには実家を含め4軒の家があります。
母方の祖父母はもう他界し、実家には誰ひとりとしていません。
家を維持するために諸費用は必要ですし、この辺りは雪が降ることもあり、毎年近所の人に雪かきを頼んではお礼を包んで渡すといったことが続きました。
これを毎年繰り返すようでは費用もかさむので、ここら辺で実家を畳んでしまおうと考え、実行しました。
10月26日、母方の祖父母の法事を馴染みのあるお寺で行いました。母、叔母、叔父、そして自分の4人で住職にお経をあげてもらい、焼香を済ませました。
コロナ過やいろいろと家の行事が重なり、なかなか法事を行うことができませんでしたが、一応形にすることができました。
ただし、これが最後の法事になるのかもしれません。
そして10月27日、母の実家に行きました。
2.実家はないが、位置は覚えている
実家はもう、跡形がほとんど残っていませんでした。
あるとすれば、玄関につながるコンクリートの坂くらいでしょうか。それでも、位置は覚えていました。
玄関の右横には汲み取り式の化粧室、右側の奥まったところには水場である台所と風呂、それら2つの合間には居間があり、居間の左隣には大きな仏間(そこで寝ていました)。
仏間の左隣が布団などを保管した棚があり、そして左側の奥まったところには別の寝室。
すでに実家はなかったけど、位置は覚えていました。
そして倉庫が2つあり、農具が保管されていたこと。洗濯物を干す場所も跡から判明出来ました。
3.ご近所さん
実家以外のご近所さんの3軒も、いろいろと変わっていました。
1軒は母の実家と同じく家を畳み、もう家自体が存在せず、また1軒はもう人が住んでおらず、家は取り壊されてはいないがボロボロの状態に。
そしてもう1軒は、この地にずっと住んでいる夫婦が、前の家では大きすぎるために取り壊し、別な地に夫婦2人で暮らすには十分の家と、その横には小屋を建てていました。
その上にはお墓があり、お線香を手向けました。
昭和に自分が小さいころに見た家々の景色と、令和では随分とかけ離れていました。実家の裏山に生えている木々も大きく成長していました。
ただ、裏山に上ってそこから見る山の景色は、昭和でも令和でも一緒だったことに、落ち着きを覚えました。
小さい頃の記憶が、蘇ります。