#16 大阪ホスト編(6)
「勝負あったな」と彩世が笑いながら言った。
「…まぁ、お酒は、たいして飲めへんかったけどな。あと、何杯あるんかいな?」と時雨は、翔に聞いた。
「あと5杯あるんや」
「どないすん?一人1杯ずつで乾杯するか?」
「そうだな。お前がうちの店に移籍する祝杯としようじゃないか」
翔は、テーブルにテキーラショットを5つ置いた。時雨、彩世、夢幻、楓花がそれぞれのグラスを手にした。時雨は、残りの1つを翔に渡した。
「自分も飲まんかい」
「はい。いただきます」
翔は、時雨からグラスを受け取った。
「ほな、彩世の勝利を祝して」と時雨は言い、5人はグラスを重ねて、一気に飲んだ。
「時雨…お前、本当に勝つ気あったのか?」と彩世は時雨に聞いた。
時雨は、ふっと笑った。
「…俺は、運に身を任せただけや。それに勝負には負けたかもわかれへんけど、俺の方が飲んでへん」
彩世は、ズボンのポケットから携帯を取り出した。
「後で連絡するから、連絡先を教えろ」
時雨は、スーツの胸ポケットから名刺を取り出した。光沢のある名刺に白いスーツを着た時雨が映っている。彩世は時雨から名刺を受け取った。
「その裏面に連絡先は書いたーる。楓花、今度は一人で来いや」と時雨は言って、席を立って去っていった。
「うちらも行こか。夢幻さん、いける?」
彩世が夢幻の方を見ると、夢幻が目を閉じていた。彩世は、夢幻の肩を揺すると、夢幻は目を覚ました。
「…すみません。どうもテキーラが体質的に合わないみたいで、思ったより酔いが回っています」
「店を出たらタクシー乗るから、まだ寝るなよ」
彩世の言葉に呼応するように夢幻は手を挙げて、立ち上がった。お店の出口に向かって歩き出したが、足元が覚束なかった。彩世は、夢幻の腕を自身の肩に回して一緒に歩いた。楓花は、テーブルで支払いをして、彩世が夢幻を抱えている反対側に回り、夢幻の腕を掴んだ。
「…楓花さん、大丈夫ですから」
「全然、大丈夫じゃないだろ…」
夢幻の体が彩世にのしかかり、抱えて歩くのが精いっぱいだった。翔がやってきて、彩世が夢幻を抱えているのと反対側に回り、夢幻の腕を肩に回した。
「時雨さんから出口まで送るよう頼まれました」
「助かる」
彩世は翔の助けを借りて、お店の外に出た。店の外には、タクシーが一台止まっていた。
「…あんたのためちゃうくて、楓花のためやさかいな」
後ろを振り返ると、時雨が立っていた。
「また、今度、連絡する」と彩世は言い、夢幻と一緒に後部座席に乗り込んだ。楓花はタクシーの助手席に乗った。
「時雨、おおきに。やっぱ、あんたがいっちゃん好きやわ」
「俺は女性には優しいさかいな」
「自分で言う?」
時雨は、不敵の笑みを浮かべて、軽く手を振った。彩世は、運転手にヒルトン大阪へ向かうように告げた。タクシーはゆっくりと発進した。
「楓花、ありがとな」
「ほんまに感謝してるなら態度で示してほしいわ」
「…何が欲しいんだ?」
「せやな…彩世さん」
彩世は、ルームミラー越しに楓花と視線が合った。彩世は、ため息をついた。
「…時雨が一番好きなんだろ」
「そんなん、気にするん?」
「いや、時雨とすれば良いんじゃないかと思っただけで」
「うちは、推しのホストとは寝えへん主義やねん」
「何で?」
「関係性が崩れてまうやん?うちは、時雨の時間をお金で買うてるんやさかい」
「それなら、お金渡して寝るのも同じだろ」
「営業時間外のお金は、ホストとしては入れへんやろ?ほな意味があれへんの」
「…本当に好きなんだな」
彩世は、楓花の言葉を反芻した。確かに営業時間外のお金は、ホストとしての売上には入らない。それでも、次にお店に来てもらうための繋ぎとして、お金さえ貰えれば寝てきた。自分に寄って来る客は、彩世と関係を求めるばかりで、体の関係なしに繋がっている方が少なかった。楓花が何故、そんなに時雨が好きなのかが気になった。
「どうして、そんなにアイツが好きなんだ?」
「時雨と会う前は、別のホストと付き合うとってんけど、暴力を受けとってん。なんべんか、別れよう思てんけど、別れを切り出すと、暴力が酷なるさかい怖うて言われへんかった。その時に時雨がうちのお店に遊びに来て、うちの痣に気付いて助けてくれてん。それから時雨のお店に通ってる」
「アイツが他の女と寝ててもいいのか?」
「時雨は、ホストを続ける間は特定の人は作れへんって公言してんねん。まぁ…うちを振る口実やったのかもわかれへんけどなぁ」と楓花は笑った。
丁度その時、タクシーがヒルトン大阪に着いた。彩世は、運転手にお金を支払って領収書を受け取った。夢幻を起こして、タクシーから降りた。楓花もタクシーから降りている。タクシーは、その場を去っていった。
「家に帰らないのか?」
「その状態で、部屋まで行ける?」
夢幻は、半分寝たような状態で、彩世に寄りかかっていた。
「無理だな。一緒に部屋まで運んでくれるか?」
「ええで」
彩世と楓花は、夢幻を支えながら、ホテルの部屋まで向かった。部屋に入り、ベッドに横たえて、彩世は夢幻の靴を脱がして床に置いた。楓花は、夢幻が寝ているベッドの隣に腰かけている。
「…俺にどうして欲しい?」と彩世は楓花に聞いた。
楓花は、ベッドから立ち上がり、彩世の腰に両手を回した。
「うちを抱いて欲しい」
「それは、時雨の代わりってことか?」
楓花は、くすくすと笑った。
「…お客さんは、うちに会うためにお金を払うて来てくれて、売上がうちの価値の全てやった。せやけど、うちの女としての価値は満たされたことはなかった。そやさかい、うちが女として生まれてきて良かった思える体験をさせて欲しい」
「……期待値が高すぎて応えられる気がしないけど。…それに」
彩世は、自分の脳裏に浮かんだ言葉に苦笑した。お金で繋がる愛しか知らない自分が、『一番好きな奴とした方が良い』とか、そんなこと言えるハズがない。それに一番好きな相手とは、関係を持てないと知った上で、楓花は彩世に頼んできているのだ。彩世がこれまで抱いてきた女性は、直接、聞いたわけではないけれど、カッコいい男に抱かれたいとか、快楽を得たいとか、そういった理由だと想像ができる。しかし、楓花の想いは彩世がこれまでに触れたことのないもので美しいとすら思えた。
「…初めてではないんだよな?」
楓花は、軽く頷いた。彩世は楓花の頬に触れ、口付けた。
「俺が女として生まれてきて良かったと思わせてやる」
彩世は、楓花の手を取り、部屋を出て自分の部屋に向かった。
夢幻は、目を覚まして起き上がった。見慣れない部屋の風景に一瞬、どこに居るのか、分からなかった。目の前で、スーツを着た自分の姿が映っていた。カーテンの隙間からは、日差しが差し込んでいる。携帯を取り出すと、7時10分と表示されている。店を彩世に支えられながら、出た記憶はあるものの、どうやってホテルの部屋に着いたのかは全く覚えていなかった。ベッドから起き上がり、冷蔵庫からミネラルウォーターのペットボトルを取り出して飲んだ。その後、スーツを脱いでバスルームに入り、シャワーを浴びた。バスルームから出た後、ドライヤーで髪を乾かして、カバンからボクサーパンツと黒いシャツを取り出して着た。それからハンガーにかけてあったジーンズを履いて、彩世に電話を掛けた。5コール目で電話は繋がった。
「もしもし、彩世さん?」
「夢幻さん、おはよ」
「……楓花さん?あれ、俺、電話かけ間違えました?」
「ううん。合うてんで。彩世さんの携帯」
「………彩世さんは?」
「今は、シャワー浴びてる」
「…楓花さん、彩世さんと寝たんですか?」
「ん~…精確に言うたら、寝てへんで。彩世さん、ええやっちゃな。惚れてまいそう」
「俺…昨日のこと、途中から覚えてないんですけど、お二人が部屋まで、俺を連れてきてくれたんですか?」
「うん」
「ありがとうございます。テキーラは体質的に合わなくて…ダメなんです」
楓花は、くすくす笑い「昨日もそう言うとったで。あ、上がってきたで。彩世さん、夢幻さんから電話」
遠くから彩世が「勝手に出るなよ」と言っている声が聞こえた。物音がした後、彩世の声が聞こえた。
「彩世さん、昨日は、ありがとうございました」
「いいよ。で、どうしたんだ?」
「十時までにチェックアウトだったので、念のため、起きてるか、電話しただけです」
「そうか、じゃあ、後でな」
「はい、また後で」
夢幻は電話を切った。