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『芝活』を当たり前の世界に!みんなが良質な芝生に出会えるアプリを作りたい!

前回まで芝生で僕が実現したいことを記事を書いてきました。今回はもっと踏み込み、企画の解像度を高めていきます。

芝生っていいなあ。


芝生という環境がもともと好きでした。
芝生で友達と会話をしていると、なぜか普段よりも心を開いて話せるような気がします。
芝生でカップラーメンを食べると、なぜかありふれたラーメンが美味しく感じます。
芝生で音楽を聴いていると、いつもより深い解釈ができることがあります。

芝生というのは、
子供も、大人も、おねーさんも。
飯を食べたいやつも、昼寝したいやつも、サッカーの練習をしたいやつも。
どんな人やニーズも受け入れてくれる寛容さがあります。
この寛容さに、僕はどこか惹かれて、漠然と好きだなあと思っていました。

芝生に人生を救われた自分


芝生を熱狂的に好きになったタイミングは大学を休学していたときでした。

「何者かになれるはずだ」という何の根拠もない自信と、
とはいえ僕は、何の才能もなければ技術もないという理性的な批判と、
みんな就職して立派な社会人になっていく焦りと、
様々な感情がないまぜになって、社会人でもなく、アーティストでもなく、学生でもない、中途半端な時期がありました。
あらゆる想いが錯綜して、全く人生の選択ができない状態に陥っていたのです。

そのとき、脳死の状態でふらっと芝生に訪れ、
何をするでもなく、ぼんやりと酒を飲んで、芝生に寝そべっていました。
そのときの体験は今でも忘れられません。
ぼんやりと考え事をしていると、どんどん意識が深く落ちていって、強い浮遊感を感じました。そして、どんどん自分の錯綜した想いが紐解かれていき、ふっと自分の本心に気がついたのです。
「あ、俺、働いてもいいかもしれないな」という自分の根本的な想いに気がついた瞬間でした。

そんなこんなで、僕はいま社会人をしています。
楽しいことばかりではありませんが、飯を食べられていますし、やりがいも確かに感じています。

芝生は、本当に寛容な存在です。
どんな人間も受け入れてくれます。
あらゆる感情が渦巻いて、ニッチもサッチも行かなくなった人間を受け入れて、緩やかに紐とき、自分の本心に気がつかせてくれます。
芝生って、本当にすごい場所だなと感動し、僕は定期的に考え事があると芝生で寝そべってぼんやりするようになりました。

みんなにも芝生の良さを知って欲しい


そう、強く思います。
「芝生には人生を好転させる力がある」と信じているからです。

とはいえ、「芝生で内省してこい!」と言われても、ぜんぜん実感がわかないでしょう。
ですから、僕はまず、芝生の自由で寛容な良さをみなさんに実感して欲しいなあと思います。
そして、自分のお気に入りの芝生を見つけてホーム芝生を作るもよし、ちょっと遠征して新規の芝生を開拓するもよし。どんどん芝生を身近なものにしていって欲しいなと思います。

ランチを近くの芝生で食べてみよう、とか
仕事が終わったからちょっと芝生でのんびりしてみよう、とか
休日に積読された本を芝生で寝そべりながら読んでみよう、とか
みんなの日常にあたりまえのように芝生が同化している、というのが、僕が目指したい姿です。
そして、その中で、芝生に出会って人生が好転する人が生まれるといいなと願っています。

みんなに芝生を楽しんで欲しい。けど難しいのです。


これだけ「芝生が好き」と公言していると、よく「おすすめの芝」を教えてくれと頼まれます。
できる限り、その人の家の近くで、良い芝生をお伝えするように努力するのですが、
けっこう骨が折れる作業になります。「良い芝生」と出会うのは実はかなり難しいのです。

世の中には芝生は無数にあるのですが、質の高い芝生は数少ないのが現状です。
僕は質の高い芝生を「コンディションが良い芝生」と呼んでいます。
コンディションは、整備がどれくらい行き届いているかによって左右されます。
定期的に芝刈りが行われ、害虫駆除が行われ、苗はりが行われ、オーバーシーディングが施され、、、、、etc
とにかく、ちゃんと人間の手が入っていないと、ふさふさで寝転んで気持ちがいい芝生は出来上がらないのです。

と、なると整備が行き届いている芝生をお勧めすればいいかと思います。

実は、それだけでは不十分なのです。
芝生は季節によってコンディションが変わってしまうからです。
整備が行き届いていても、冬になると夏芝は枯れてしまってコンディションが悪くなります。
冬に良い芝生に出会うには、冬芝が貼られている芝生に行く必要が出てきます。

ね、むずいでしょう。
となると、僕一人でお勧めの芝生を管理するのがとっても難しくなります。
数多ある芝生から、整備されている芝生を見つけ出し、
かつその芝の季節の差を把握しないといけないからです。

『芝生ポータル』でみんなで芝生を楽しもうよ


ということで、
もっとみんなが芝生を身近なものとして楽しめる。
そして、みんなの力で芝生のコンディションを管理し、便利にしていく。
そんなサービスを作ることにしました。

題して『芝生ポータル』です。
機能は以下のようなものです。

  • 現在位置や遠方の位置を指定して、コンディションの良い芝生を検索できる

  • 感想を記入してメモったり、友達にシェアができる

  • 実際に利用した芝生のコンディションを登録・更新ができる

利用イメージは以下のような感じです。

  • ふっと時間ができたときに、現在位置や指定した場所で芝生を検索する

  • 他人が登録したコンディション情報から、現在の時間・季節でコンディションの良い芝生のみ閲覧する。

  • 芝生にチェックインして楽しむ。

  • 感想を記入して日記のように楽しんだり、友達にシェアする。

  • 芝生のコンディションに変化があれば、随時コンディションを更新する。
    (未登録の芝生を開拓した場合は、芝生の登録を行ってみんなに見てもらえる)

要点を30秒の動画で紹介します




彼女にヒアリングを実施した


ここからは、本企画を元に彼女にヒアリングを実施した結果を記載します。

なぜ、彼女をヒアリング相手に選んだか?

  • 忖度なく、素直な意見を言ってくれる相手だから。

  • 過去に「共体験」をテーマに制作を行った経験があるらしく、概念的な話も理解しつつ鋭い指摘を貰えそうだから

  • 本企画の制作に時間投下しすぎてなかなか会えておらず不満が溜まってそうなので、企画への理解を得たかったから

結果としては、多くの気づきがありました。
本当は何をやりたいのかをしっかりと見定めた上で、制作物の修正が求められていることに気がつきました。

Q1:誰のためにやるのか?お前だからできるのか?


結果:それぞれ、過去の原体験を元に回答し納得してもらえた

誰のためにやるか:
もちろん自分がもっと多くの芝生に出会って、内省を捗らせたいよねーという欲求はある。
一方で、「他人にも楽に生きて欲しい」という気持ちが強く、芝生はある多くの人たちに対して、一つの楽に生きる手段となるのではないかと信じている。その人たちに提供していきたい。

お前だからできるのか:
芝生でぼーっとすることで自分の本心に気が付くという成功体験があり、感覚的ではあれど、他人も味わえる普遍的な価値なのではないかと感じている。
この内省による成功体験を持っているという点で、単に芝生っていいよね、に止まらないプロダクトを作っていけると考えている。

Q2:それって汎用性なくない?


Q:お前が成功体験を得られたのは「名古屋大学の芝生だったから」じゃないのか?
つまり、名古屋大学生という文脈が備わっているから味わえただけで、他人も同様に名古屋大学の芝生で成功体験を味わえないのではないか?

A:その側面も大いにあると感じるが、それだけではない。

より無責任にぼんやりする(自分を投げ出せる)ようにするには、その人と場所の間にある文脈が存在するのは事実だと思う。
その一方で、その場所が持つ、そもそもの質であり力という側面もあると考える。
自分の体験上、全くの初見でも(文脈なくても)、質が高い場所はしっかりと快感を得ることができた。
ので、要素としては「元々の力・質」と「文脈」があり、「文脈」は+αの要素なんじゃないか?
つまり、良い場所にいけば、文脈なくとも普遍的に良い体験を提供できるはず。

Q3:「内省」がゴールなら、達成できる場所は芝生だけじゃなくね?


A:完全に仰るとおり。ゴールを定義しきる必要性があると気がついた

僕が普段「内省」する際、場所は芝生に限らない。河原とか、海とか、本屋とか内省に向いたスポットはたくさんある。もし「内省すること」を他人に提供したいのであれば、芝生の場所を提供するのではなく、内省に向いた様々な場所を提供するのが、より正確なプロダクトになるのではないかと考えさせられた。

Q4:芝生の用途って「内省」だけなんだっけ?


Q:お前が人に芝生に行かせたいのは、はたして「内省」させたいだけなんだっけ。芝生には様々な用途があるし、楽しみ方は人それぞれなんじゃないか

A:完全に仰るとおり。芝生に行かせたい目的はもっと広くあることに気がついた

僕が一人で芝生を利用するときはもちろん「内省」するために利用するのだが、その他の用途でも利用するし、そこにも価値を感じている。
例えば、たくさんの人と集まって親睦を深めるために会話をしたり、みんなで食事を楽しんだり、映画祭を催してみたり。
逆にいうと、芝生に対して根本的に僕が感じている価値は「どんな欲求があってもそれを満たしてくれる寛容さ」があるということに気がついた。
芝生にフォーカスするならば、「内省」は一つの用途に過ぎず、「そこにいけば、なんでも許される」という寛容さをみんなに感じて欲しいというのが本心だと気がついた。

Q5:それって芝生じゃないとだめなん?


Q:芝生で内省する良さや、みんなで集まれる良さは共感するが、「わざわざ芝生にいく」と他人に思わせられないんじゃないか。
つまり、芝生のデータベースを作るのは良いが、そのニーズは、そもそも人に芝生にいく動機づけを行わないと発生しないんじゃないか?

A:完全に仰るとおり。自分がフォーカスするポイントはポータルの手前なんじゃないかという気づき

内省できるよ!とかオープンに遊べるよ!とか僕にとっての芝生の唯一無二性は高いのだが、他人からするとそもそもそのニーズに気がついていない・実感していない。
その状況で、どんなに芝生がいいよ!と言っても、「他の代替策でなんとかなるし」となって芝生にいく動機づけにはならない→プロダクトとして失敗するのではないか。
「芝生の良さを認識して楽しんでもらうこと」とゴールを設定したときに、まず僕がやるべきファーストステップは、「とにかく芝生にいかせて、実感させる」ところじゃないのか。

まとめると。今後の論点


よしだじゅんやはプロダクトを通して何を他人に提供したいのか

  1. 「内省」する手段を提供することをゴールに置く

  2. 「芝生の良さ」を知って体験してもらうところにゴールを置く

1の場合:

  • 「内省」をゴールとすると場所は芝生に限られない。

  • 空き地や海、本屋みたいな場所も含めて提供していくポータルを作るべきでは?

  • あるいは、「内省」しやすくするための科学的アプローチをとるべきでは

2の場合:

  • 「内省」は一つの用途にすぎない。もっと芝生の広い価値を実感してもらう必要あり。

  • そもそも芝生に行かせる動機づけを行うのがファーストステップであり、ポータルを作るのはその先なのではないか。
    →どう動機づけするかという仕組みがプロダクトになるのではないか

という感じで、僕はどちらを最終的ゴールとするのか。僕がやりたいのはどちらか。
②の場合、自分が作るべきプロダクトの制作アイデアは何か?で揺れ動いている。やばい。
しかし、気づきの多い最高のスパーリングだった。

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よしだじゅんや
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