舎熊 YESTERDAY 治らない
留萌本線舎熊(しゃぐま)駅。隣が信砂(のぶしゃ)駅。2016年に廃止された両者のあいだは800メートルしか離れていなかった。共通の音韻がその地の何かを示していたと思いきや、Wikipediaによれば地名の語源には共通する部分がない。しかし音が想像上に何かを生成(捏造)する。生成(捏造)され現前するそれは何か?
生活が苦しい。初任給に迫るような金額を稼ぎながら大学生をやっているのだから可処分時間は皆無に等しい。シャトルランの最後みたいな日々がずっと続いている。2回連続でバツが付くと退場だっただろうか。何個のバツがいま僕に付けられているのか?
夜の私鉄が大きな川を渡る。 ”YESTERDAY” というラブホテルの看板が最も強く川を照らしている。あたかも土手に川の名前が記された標識が立っているように、橋梁上の市境に彼岸の市の名前が記された標識が立っているように、「昨日」の現前が満員の乗客に表示される。何のために?
いまは2024年で、自分は20歳がまもなく終わるところ。しかし時間が過ぎてゆくこの速さは40歳くらいまでこのままのはずだ。東中野を過ぎると三鷹くらいまで下っても家賃が全然下がらないのと同じように。高校を出てから時の速さが正気でない。2022年は本当に大変だった。自分が生き延びられたことに一切の再現性がない。ご飯を買うお金がなかった。何度も振り返ってしまう。多分僕はまだ治っていない。これからもずっと治らないだろう。何が?