新しい、学校教育の話。
インターネットは、社会の有り様を変えた。
世界で、インターネットを使っていない人は、今後、取り残されていくことであろう。
インターネットで、調べものをすることは、当然大事だが、本当に大事なのは、インターネットでの他者との繋がりである。
人間とのネットワークの構築が大事なのだ。
学校教育というと、国語、算数(数学)、理科、社会、英語、いわゆる5教科や、体育、美術、音楽、等を思い浮かべるだろう。
5教科にしても、他の科目にしても、生きていく上では不必要である、いわば、強制されていることだ。
教育の目的は、社会に役立つ人材の育成である。
勉強をさせたり、学校に通わせるのは、人間を社会に適応させ、人材にする為なのだ。
しかし、インターネットが普及した、現代において、もっと重要な、問題が発生している。
勿論、5教科を無くせとは言わないが、心と繋がり、自己表現の問題である。
学校も、社会人になってからも、社会が求めるのは、競争であり、稼ぐことだ。
バブルの崩壊でわかったことは、競争社会には必ず敗北者が出る事、社会は95年のオウムの事件から反省して、弱者への救済措置が必要だった。
子育て支援、高校、大学無償化、失業者支援―、競争に敗北した人や、新しい世代を救済する必要があった。
競争に勝った人間が、多少犠牲を払う覚悟がないとできない事だが、しなければ、少子化が進み、国は死んでいく、バブル崩壊と、勝ちにくくなっているのに、上が埋まっていて、死ぬ迄、競争させる社会は、まさに地獄なのだ。
結果、自殺者が増え、子供が減る。
ゆとり教育は、競争社会からの脱却を図る、藻掻きだったのだ。
現実には、ゆとりはなかった、ゆとりと言っても、塾に、お稽古、学校以外の場所で、激しい競争にさらされ、めっちゃ勉強させられる人が増えた。
資格取得が流行ったのも、競争から、脱却できていない証拠だ。
大事なのは、心なのだと、いっても、心の重要性がわかるのは、バブル崩壊以降に生まれた、人たちだけだ。
頭に、他人を蹴落としてでも、金を稼ぐ、競争に勝って、欲しいものを手に入れる、私利私欲を満たし、他人を意のままに操ることが、幸せだと、刷り込まれているのだ。
昔は、勝てる人間が多かったから、結果的に景気がよくなって上手く行ったが、競争の果てには敗北者が増えるし、勝ちにくくなっていって、ツケが、弱者や、子供たち新世代に降りかかっているのだ。
かつて、勝ち続けていた人たちは、守りに入り、権力維持体制だ。
95年の事があって、0年代になっても、ずっと、世の中を変える事はできなかった。
11年、東日本大震災が来ても、無理だった。
22年、元首相が暗殺されても、無理そうだ。
27年間、無理だったのだから、おそらく今後十年も、無理だと思う。
では、どうすればよいのか、もう、諦めて、貧乏を受け入れる心を養っていくしかないと思われる。
インターネットSNSを、学校でやる。
学校で、SNSアカウントを作って、クラスとのネットワークを構築していくのは大事なことだ。
生徒も、教師もアカウントを作る。
SNSに投稿すること、教師も勿論しなくてはならない。
地域社会を活性化することにも繋がる。
誰が、何をしているのか、がわかることは、孤独を埋めることに繋がる。
ITリテラシーを養う事もできる。
子供のころから、ネットに触れ、問題を起こさないようにしていけば、今の世の中のような、不毛なリプの送り合いや、住所特定して、晒したり、人の嫌がることをする人は、減るだろう。
国として、インターネットを活用した、人との繋がり方、ともだちの作り方、発言などを、ちゃんと、しないから、対立と、分断、嫌がらせ、人の気持ちも考えない、心のない事、になるのだ。
ネット上で、自己表現する力も大事だ。
文字を打ったり、絵文字を付けたり、相手が不快にならない文章を書くとか、動画で表現する時、人が好感を持てるにはどうすればいいのかとか、基本的な事だが、大事なことだ。
ネットで自己表現ができる人が、生きやすい世の中になるには違いない。
学校で、ネット上の繋がりを持つことは、孤独を埋める事にも繋がるのだ。
勉強ができる人もできない人も、人間なのだ。
ネット上で、存在していて、話したり、仲良くできたりできる。
人として認識できることが大事だ。
人間にとって大事なことは、結局、無害なことで、人と、仲良くできる事なのだ。
勉強ができない人を見下したり、運動ができない人を見下したり、競争して、できない人を、迫害して、分断していく社会に、幸せはない。
大事なのは、誰しも心があって、生きていて、お互いがお互いのことを、考えられるということだ。
綺麗ごとにきこえるかも知れないが、世の中が、貧乏になっていく中では、ちょっとした揉め事が、大きな問題になるし、ただでさえ貧乏になっているのに、足の引っ張りあいになって、いいことは一つのないのだ。
東洋哲学や、西洋の自然科学の基礎を取り入れる
学校で、般若心経や、老荘思想、輪廻や業の考えを教えるのは、今後、生きやすくするには、大事なのではないかと思う。
無常感や諦めは、心を楽にする。
ありのままを受け入れる考えは、分断と対立を防ぐ。
輪廻や業は、よい行いをしようという心が育まれる。
今の世の中は、金を稼ぐことばかりで、大事な心の余裕が失われているのだ。
学校でさえ、学業やスポーツで競争させる。
西洋の自然科学の、はじまりの部分を知ることは、大事だ。
今の世の中に蔓延っている、科学はなんでもできる信者や、科学を使って金儲けをしようとする考えは、浅ましい。
本当の科学が、どういったものなのか、アリストテレスが打ち立てた最初の最初の自然科学の精神を知っておく必要がある。
原始的な部分が大事なのだ。
とか、なんとか、考えたが、現実は、厳しいだろうと思うし、難しいでしょう。
追記 8月19日
現実は、優しくはない。
きっと、仲間外れと分断が待っている。
人は、自分たちとは、違うもの、空気の読めないものを、排除しようとする。
欲望の儘に他人をコントロールしようとする。
学校で、SNSをやっても、次なる悲劇が生まれるだけだと思う。
もう、正解がわからなくなってきた、僕たちは、根本的な考え方や思想の部分から、やり直さないとダメなのかも知れない。