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西遊記どの訳が好きか―空三で読み解こう④
この試みは、三蔵一行の旅をさまざまな訳ver.で味わいながら悟空×三蔵、すなわち空三関係の進展を見守っていくことです。
さて、まだまだ三蔵一行の旅は続いていきます。今回は通天河のエピソードがあるので、ちょうど天竺までの旅路の中間地点くらい。……中間地点かあ。まだ長いなあ。
でももう前回、一度目の破門を乗り越えた悟空からの気持ちはかなり固まっている様子が見てとれましたし、宝林寺でのいちゃいちゃケンカップルの様子を見ると、三蔵も好きなんでしょはいはい的なエモいシーンが多かったですけど、今回はわりと落ち着いたシーンが多いです。
まあ、落ち着いたといっても悟空と三蔵がお互いに思いやっているのが当然、というような関係になっていると考えてください。ほらほら、興奮してきたしてきた!
さて、今回も前回同様、この三冊から引用します。
①岩波文庫版 中野美代子訳「西遊記」
5巻(1988年)
②平凡社版 太田辰夫・鳥居久靖訳
「西遊記上」 (1972年)
③福音館文庫版 君島久子訳
「西遊記中」(2004年)
(①は明の時代の本「世徳堂本西遊記」、
「李卓悟先生批評西遊記」の完訳本、
②は明の時代の本をダイジェストにした
清の時代の本「西遊真詮」の完訳本、
③は一部のエピソードが未収録の部分訳本です。)
さてさて、続きをやっていこう!有名な紅孩児のエピソードの続きからだよ。
紅孩児編
三蔵をさらってきた紅孩児は、すぐ食べようとして衣服を剥ぎ取ります。
まずは①
ところでその妖怪、三蔵をば洞内に連れこむや、すぐさま衣服を剥ぎとって両手両足をひとつにしばり、奥の中庭にくくりつけました。子分どもにきれいな水でごしごし洗わせ、さていよいよ蒸籠に入れて蒸して食おうというところ。
裸の三蔵を洗う役目は子分に押し付けたわけなので、紅孩児はきっと三蔵の身体には興味がないんでしょう。ただの食べ物としか認識していないようです。
③ではこうです。
さて、かの妖精の方は、三蔵を洞中にさらって来ると、着物をはぎ取り、後ろの庭にくくりつけ、手下どもに水をかけて洗わせ、これから蒸して食べようとしていたところへ、この知らせ。
ただ、着物をはぎ取るのは紅孩児自身でやったようなので、これは悟空にバレたら「なんてことしやがる」と折檻ものですね。
次は、紅孩児の吹く三昧真火の妖火から逃げるために冷たい水の中に飛び込んだ悟空の息が止まってしまうシーン。悟空のお師匠様一筋の気持ちの強さと、珍しく頼りになる八戒が見れます。
まず③です。
悟浄は衣を着たまま水中に飛び込み、岸にかかえ上げてみてみれば、それは悟空の亡骸であった。手足をかがめ、全身氷のようである。悟浄は目にいっぱい涙をためて、
「兄貴、残念なことをしたなあ。億万年不老長生でいられるものが、いま、中途短命に終わろうとは」
八戒それを見ると、にやりとして、
「兄弟、泣くな。この猿は死んだふりをして、びっくりさせようてんだ。兄貴の身体をさすってみろよ。胸のところがあったかいかどうか」
「体中氷みたいだ。少しのあたたかみもないよ。どうして生き返ることができる」
「こいつは七十二通りに変われるから、七十二の命があるわけだ。おまえ足を引っぱってくれ。俺がなんとかやってみよう」
(中略)八戒がもんだりさすったりしていると、やがて、悟空は息を吹き返し、
「師匠」
と一声呼んだ。
「兄貴は、生きている時も師匠、死んでもまだ師匠を口にしている。おい、しっかりしろ。俺たちここにいるぜ」
と悟浄が言うと、悟空はぱっと目をあけ、
「兄弟たちここにいたのか。俺はひどい目にあったよ」
八戒は笑って、
「兄貴はいままで気を失っていたんだ。もしこの猪さんが助けてやらなかったら、とっくにお陀仏だったのに。お礼をしないのかよ」
おろおろする悟浄と、全然動じない八戒が可愛くないですか?可愛いですよね。
それと、いいですか。死にかけて(というか半分死んでて)生き返って最初に言う一言が「師匠」ですよ。こんなの愛じゃなくてなんなんですか。彼の頭の中には師匠しかいないんですよ。師匠の事しか考えていないんですよ。もう、なんなの……。こんなの、「好き」をとっくに超えてるじゃんね。
しかもその悟空の言動を「兄貴は生きている時も師匠、死んでもまだ師匠」と悟浄が受け止めているのがもう尊い。おとうと弟子からも温かく見守られている悟空×三蔵……。
こんなシーン何度でも見たいよね。①でも見てみましょう。(②は①とほとんど同じでしたので割愛です。)
①
悟浄が衣服のままとびこみ、岸に抱きあげてみますと、なんとこれが悟空のなきがらではありませんか。ほら、ごらんなさい――
かたく縮まり伸びない体
氷のように冷たくなった
悟浄は目にいっぱい涙をためて、
「師兄よ!くやしい!
億万年 不老長生の客なるも
いまや 中途短命の人と化す」
ところが八戒は笑って、
「おとうと、泣くなって。このサルめ、死んだふりをして、おいらたちをびっくりさせようとしてるのさ。ちょっとさすってみろ、胸の前だけ、まだ少し暖かいだろ?」
「からだじゅう冷たくなってしまったんだ。ほんのすこし暖かみが残っていたって、生きかえるわけはないだろうが」
「こいつは七十二変化の術を心得てるんだ。だから、七十二の生命をもってるはずだよ。まあ、足を引っぱってくれ。おいらがなんとかやってみるから」
(中略)
もともと悟空は、冷たい水をかぶったため、精気が丹田に閉じこめられて声が出なくなってしまったのですが、八戒がなでたりさすったりしてくれたおかげで、ほどなくすると、気は三関を通り抜け、明堂をめぐって七つの穴をつき破って出てまいりました。そして、
「お師匠さま!」
と叫んだものですから、悟浄は、
「師兄!あんたは生きているときも師匠、死んでからも師匠、だなあ。さあ、目をさましてくれよ。おれたち、ここにいるんだよ」
悟空、ぱっと目をひらいて、
「やあ、おとうとたち。ここにいたのか。ひどい目にあったぜ」
八戒は笑いながら
「あんたはいままで気を失っていたんだ。この猪さまがいらっしゃらなかったら、一巻の終わりだったんだぜ。ありがとうも言わないで」
「師匠」も良かったですけど、息を吹き返してすぐの「お師匠さま!」呼びも尊いですよね。これこそ、翻訳で楽しめる醍醐味……。
しかも、「猪さま」八戒が得意になっていますが、結局悟空は礼も言いませんw(本当にこの猿は八戒のことをどうでもいいと思っている)
この後、悟空は八戒の台詞を無視したまま、龍王に礼を言って帰ってもらい、師を思って泣きます。
そのシーンも①から抜粋
こちら悟空、悟浄に支えられながら、松林にもどってみな腰をおろします。しばらくすると、悟空の呼吸も整い気持ちもおちついてきたのですが、涙がとめどなく頬をつたって流れるのでした。そしてまた、
「お師匠さま!
憶えばむかし唐を出て
岩から孫様救い出し
めぐる山川災難だらけ
絶えぬ苦労に腸も断つ
飯は托鉢お相手しだい
日暮れ野宿し経を読む
心一つに正果を待てど
今日の辛さは誰知ろう」
三蔵は取経という正果のために、唐を出てから散々苦労してきてるのに、今日もまたご苦労されて……と泣いています。自分が助かったことはどうでも良くて、妖怪に捕まった師が苦しんでいることがしんどい悟空、マジ尊くないですか。なんなんですか。愛なんですか。愛ですね。
次は、八戒が紅孩児に捕まってしまったシーン。三蔵が捕まった時と比べて悟空の様子と違うことに注目です。悟空は虫に化けています。
まずは①
悟空がその皮袋にとまって耳をすましますと、妖怪のことを、さんざん悪態をついているのでした。
「てめえ、観音菩薩になんぞに化けて、このおいらをだましやがって。おまけに、こんなところに吊るし、おいらを食うなんぞとぬかしやがって。おいらの兄貴が来た日には、な――
天にひとしいその力量で
化ものすべてみな捕虜さ
袋ほどいて俺をば出せば
鈀で滅多うちざまあみろ」
悟空、おかしくてたまりません。
「このあほんだら、こんなうっとうしいところにぶちこまれても、まだ降参してないな。よしよし、この孫さまが必ず妖怪をつかまえ、恨みを晴らしてやるからな」
八戒は自分では逃げることができないので、悟空が来たらお前たちなんかめっためたのぎったぎたにされちゃうんだからな、という虎の威を借る狐で悪態をついているんですが、「悟空、おかしくてたまりません」の余裕感と「このあほんだら」の見下し感w
全然八戒のことを心配してませんw
これが三蔵だったら「大丈夫ですか」だの「もうすぐ助けてあげますからね」とかなんとか言って慰めるのに、結局悟空は八戒に声をかけずに立ち去りますw
まあ、意外と元気そうじゃねえか、こいつと安心したせいかもしれませんけど、基本的には悟空ってそういう距離感なのかなって思います。三蔵との距離が近すぎて過保護っぷりが前に立ってますけど、誰に対してもそうなるわけじゃなくてやっぱり相手が三蔵だから世話を焼くという三蔵ベクトルの特異さをここで感じます。
②でも見てみましょう。
悟空が皮袋にとまって聞き耳を立てると、八戒は、まだ口ぎたなくののしっている。
「ずる化け物め、てめえ、なんで観音菩薩に化けて、おれをかどわかし、こんなところにぶらさげた。おまけにおれを食うなどと言う。もし、おれの兄弟が来てみろ、
斉天無量の法をつかい
山中の化け物はみんな捕虜
袋をほどいておれを出しゃあ
まぐわで てめえを滅多づき
そうなりゃおれの気が晴れる」
悟空は、聞いて腹の中で笑った。
「あほうめ、袋の中でむさくるしい目にあいながら、まだ降参はしていないらしいわい」
八戒の罵り漢詩を聞いて「腹の中で笑」う悟空が可愛い。
③では
悟空が飛んで行ってみると、八戒は吊るされて皮袋の中。悟空が袋にとまると、またしても八戒が、
「化け物め、なんだって菩薩様に化けて俺をだまして、こんなところに吊したんだ。おまけに喰おうなんてぬかしやがる。いったん兄貴が来たとなりゃあ、斉天無量の法をくりひろげ、満山の化け物どもはとりこにし、おいらを袋から出してくれる。そしたらまぐわで突きまくり、さぞせいせいするだろう」
悟空は聞いて、くすりと笑い、
―この阿呆、こんなうっとうしい中でも、まだ降参はしないようだ。
こっちの悟空は「くすりと笑」ったらしいのでそれも可愛い。三つ見ていくと、やっぱり八戒がまだ意気を失っていないことを安心しつつも、多少馬鹿にしてにやにやしてる悟空の兄貴分さがいいですね。
さて、次は紅孩児が強すぎるので、観音菩薩に助力を頼んだシーンです。観音は三昧真火を消す水を入れた浄瓶(花瓶のような入れ物)を渡しますが、浄瓶は重過ぎて悟空には持ち上げることができません。竜女を運び屋として貸すのも嫌だなあと渋る観音の悟空評が容赦ないので、見てください。
まずは②です。
「(前略)ここにいる善財竜女をいっしょに行かせてもよいが、そちは人をたぶらかすのが得手だ。わたしのこの竜女は器量よしだし、浄瓶は宝物。もしそちにかたり取られでもしたら、捜すところがない。何かかたになる物をここへ置いて行きなさい」
竜女と浄瓶の両方を悟空のものにされてしまうのではないかと危ぶむ観音の悟空への信頼のなさ、笑えます。
①ではもっと容赦ないです。
(前略)善財龍女をそなたにつけて行かせようとも思ったが、なにしろそなたは人をたぶらかすのが専門のろくでなしじゃ。わたしの龍女はべっぴんだし、浄瓶も宝物。万が一にもそなたにだまし取られたら、さがしようがないではないか。なにかかたになる物でも置いていきなさい」
人をたぶらかすのが専門のろくでなしwww
ヤ○ザか何かでしょうか。
ただ、空三クラスタとしては、ここでなぜ悟空が龍女をたぶらかすと思われたのか、についてちょっと考えてみたいなと思います。天界で太上老君の仙丹、蟠桃園の桃、仙酒などなど、竜宮から如意金箍棒などの武具と装備一式などさんざん盗んだりぶんどったりしてきた悟空ですが、これまで誰か人をさらったりしたことはないんですよね。しかも美人に弱いという属性は八戒にはあるけど悟空には微塵もない。
それなのになぜ美しい龍女を一緒に行かせると、悟空がたぶらかすのではと観音が危惧したのか。それは、既にあの美しい三蔵が既に悟空にたぶらかされていると判断したからではないでしょうか。
違う!邪推じゃない!
深読みと言え!!
観音様はすべてお見通しなんですよ。三蔵の気持ちもなにもかも。
そう、これまであまり三蔵の悟空に対する気持ちが明確に描写されてる場面は少なかったですけれども、とっくに三蔵の方も惚れてるわけですよ。完全にたぶらかされちゃってるわけですよ。いや、正確には「たぶらかして」はないよね。悟空は誠心誠意、三蔵のことが好きなだけだもんね。
でも、観音からしたら、せっかく自分が唐にまで出向いて金蝉子の生まれ変わりを見つけ、袈裟と錫杖を与えて取経の旅に出させたのに、旅の途中で猿に気持ちを持っていかれおって……みたいな苦々しさを感じているのかもしれません。私の可愛い金蝉子を……的な。
で、まあ観音は結局悟空は信用ならねえってことで、龍女はつけず観音自らが浄瓶を持って一緒に来てくれます。どんだけ信用してないんだ。
いろいろあって、紅孩児は観音菩薩の弟子となりました。捕まっていた三蔵を助けるシーンです。
②です。
ふたりは谷川を飛びこえて洞内に討ち入り、多くの妖精をことごとく打ち殺したのち、皮袋を解いて八戒を出してやり、さらに奥の方に進んで師匠を助け出した。そして、三蔵に向かい、菩薩に頼んで妖怪を降伏させてもらった次第を話すと、三蔵は急いでひざまずき、南の方を伏し拝むのであった。
ふんふん、なるほど。別に普通ですよね。ただ、覚えていますか?紅孩児は三蔵を丸裸に剥いてから縄にしばりつけていたことを。
①です。
三人して、まっすぐ奥に行きますと、すっぽんぽんの師匠が奥の庭に縛られたまま泣いております。悟浄あわてて縄をほどき、悟空が着物を着せます。そしてそろってひざまずき、
「お師匠様、よくぞ辛抱されました」
と言うと、三蔵も感謝し、
「弟子たちや、苦労をかけたね。で、どうやってあの化けものを退治したのかね」
とたずねるものですから、悟空が、菩薩に頼んで童子を降参させたいきさつを、くわしく語りました。聞いて三蔵、急ぎひざまずき、南に向かって伏し拝むのでした。すると悟空、
「なあに、菩薩にお礼をいうことはありませんよ。菩薩にお弟子をつくってあげたんですから、むしろこっちが菩薩にサービスしたようなもんです」
すっぽんぽんの三蔵を見つけた時の弟子の衝撃をもう少し……あの……、もう少し書いてはいただけないものか……。ほしい……、ほしい……。
でもやっぱり着物を着せるのは悟空なんだな、そこは八戒や悟浄にはやっぱり譲らないよねっていう謎の安心感すらある。
すっぽんぽんの三蔵が衝撃的すぎて前に書いたやつ。
車遅国編
次は妖怪の化けた三人の国師と術比べをする車遅国です。③の福音館版は部分訳なのでこの国まるごとカットされているので、①と②で比較していきたいと思います。
三蔵一行がこの国にたどり着く前、虐げられている僧侶の前に太白金星が現れ、「もうすぐ斉天大聖が来るから辛抱しなさい」と言いに来たんです、と僧侶が語る場面です。悟空の容貌が詳しく描写されているので、確認していきましょう。
「その老人の言うにはですね、斉天大聖というかたは――
でこぼこの額に金睛ぴっかぴか
円いおつむに毛だらけの頬痩て
むき出しの歯に尖ったお口 頭は抜群
かおつきは雷公と瓜ふたつ 奇々怪々
金箍棒を使うはお手のもの
むかしはそれにて大鬧天宮
いまはまじめに唐僧を守り
天晴れ正義の味方でござる」
聞いた悟空、腹を立てたりよろこんだり。よろこんだのは、孫さまの令名を宣伝してくれたからですが、腹を立てたのは、あのおいぼれがこんな凡人どもに素性をぺらぺらしゃべってしまったからです。
気になるのは「でこぼこの額」ってところですけど、頭突きしまくったからじゃないよね?額が前に出ているってことかな。美人じゃん。
自分の高名さを広報してくれた金星に腹を立てたり喜んだりする悟空、めちゃくちゃ面倒な人ですね。(好き)
②では
「老人の言うには、大聖というお方は―
磕額(われびたい)に金睛熀亮(きんきら)
円い頭に毛臉(けづら)の腮(ほお)は無け
咨(あらわ)な牙に尖った嘴 性情は乖(さか)しく
貌は雷公に比て古怪
金箍の鉄棒を使い慣なし
かつて天闕を攻め開る
如今は正に帰し僧を保りて来たり
専ら人間の災害を救う」
悟空はそれを聞くと、腹が立つやらうれしいやら。
漢詩の部分をどのくらい和訳するかで大分雰囲気が変わりますね。
ちなみにおでこの描写「磕額」をGoogle先生で調べてみたら「額をノックする」って出てきたから、やっぱり頭突きしまくって変形したおでこってことなのかもしれない……。わからにゃい。
悟空は三蔵が寝た後、いたずらのために悟浄と八戒を起こします。①にだけなんですけど、ちょっと見逃せない描写があるので見てください。
八戒と悟浄はひとつふとんに頭を足を互いちがいにして寝ておりましたが、悟空はまず悟浄をおこしました。
ここはきちんとした寺に泊まっていたはずなんですけど、布団足りなかったんですか。
なぜ一つの布団に寝てるんですか。
デキてるんじゃないのであれば、この描写が何のために入っているのかがわからんのです。
寺の貧乏さを強調するためだろうか??
いや、でもさ、足と頭をたがいちがいに寝てるってことは恋人ではない……のかな。あれあれプレイ中に寝ちゃったんですかね。
……深堀りはやめておきます。
三清観でのむさぼり食い
さて、悟空たちは三清観という道教の施設に行って妖怪の国師たちが供えた供物を食ってしまうことにします。その際に聖像に化けて食おうということになり元の聖像を捨てに行けと八戒に命じるシーンです。この施設は妖怪が化けた国師が大切にしている場所なので、敵にダメージを与えるためではあるのですが、三人はやりたい放題でただ楽しんでいるだけのようにも見えます。
②ではこんな文章になっています。
悟空、
「兄弟、聖像をみんな地べたにころがしておいて、もし道士でもやって来て見つけたら、事がばれてしまやしないか。おまえ、ひとつ所へ隠してこいよ」
八戒、
「ここは不案内だ。どこへ隠したらいいんだ」
「さっき、はいって来る時、右手に大きな池があったろ。あそこへ運んで行け」
八戒は、台座から飛び降り、三つの聖像を肩にかつぐと、池まで運んで来て、水の中にほうりこんだ。そして、正殿にもどって再び老君に化けた。
ところが①ではこんな感じ。
「おとうと、ものを食うってえのはたいしたことじゃないが、秘密が漏れるってえのはやばいぞ。おぬし聖像をみんな落としちまったが、早起きの道士が鐘つきや掃除にでも来て、それに蹴っつまずいてひっくり返りでもしてみろ。ばれるんじゃないか。おぬし、そいつをかくして来い」
「ここは、おいらには不案内だ。どこにかくしたらいいか、わからんよ」
「さっきはいって来るときに見たんだが、右手に小さな門がある。ひどいにおいがムッときたところを見れば、五穀輪廻のところだと思うよ。そこに運んで行け」
まぬけの八戒、とびおりますと、そのばか力で三つの聖像を肩にかついで、えんや、と運びだします。言われたあたりに行って扉を蹴りあけますと、なんと、そこは大きなはばかりなのでした。八戒、笑って、
「あの弻馬温め!まったく口ばかり達者だな。こんな便所の果てにまで道号つけてやってやがる。ちぇっ!なにが、五穀輪廻の所、だと?」
(中略)
そして、なかにドボン!と投げ捨てますと、衣服の半分ほどに汚水が潑ねっかえりましたが、そのまま正殿にもどりました。
聖像を便所に捨ててこいとはさすがの悟空も言いにくかったのでしょうか。五穀が輪廻する場所という遠回しな表現で便所を指しているのですが、そのしゃれの効き方が中国古典ぽい。(あなたは中国古典をなんだと思ってるんですか)
部分訳の本はこの①②のどちらのパターンを選択するかで結構訳者の好みが分かれる部分でもあります。(私は断然五穀輪廻推しですが)
しかし、私が確認した限り、部分訳の本では五穀輪廻までは書いてあっても、投げ捨てた時に八戒の衣服の半分がクソまみれになったことまでは書いてあったことはないので、さすが原本の威力は半端ねえわと思ったりします。
何を食べたのかという描写では①では中野御大の大好きな「ものづくし」で述べてあります。
そこでこの三人、心ゆくまで味わったのであります。まず、あのでか饅頭、それから道家ふう涼盤(冷たい前菜)、まぜ御飯、点心、焼餅、煎餅、揚げもの、蒸し菓子など、冷たい暖かいなどおかまいなし、思う存分むさぼりました。孫悟空は、そもそも火を通したものはそう食べないので、おつきあいに果物をいくつか食べただけでした。
同じようなものを詳しくいくつも描写することで滑稽さを演出する「ものづくし」ですが、一つ一つ読み上げていくとそれぞれ頭の中に料理が浮かんできて絵巻物を見ているような気分にさせられます。
一方、②ではものづくしではないのですが
三人はすわって、心ゆくまで賞味することになった。悟空は、ただ果物をいくつか食べただけだったが、他のふたりは、風が残雲を吹き払うごとく、ことごとく平らげてしまった。
「風が残雲を吹き払うがごとく」という表現が素晴らしいです。
八戒はわかるとしても、ここからわかることは悟浄も結構大食いなんですね。普段は(八戒と違って)節制してるのだろうなあと、想像できます。
誰が望んだ聖水プレイ
さてさて、たらふく食った悟空たちは妖怪の国師たちに見つかってしまいますが、聖像に天尊が宿ったふりをしてだまし続けます。国師たちが「聖水を頂きたい」と望んだことがきっかけで聖水プレイが始まります。
(ほんとなんでもありな原本にこっちが引きます。いや、引かねえけど)
①は天尊のふりをする悟空の台詞がちょっと難しいんですが、②を後で読むとわかりやすいので、とりあえず読んでみてください。
「なんじら末輩の小仙どもよ。伏拝は無用なり。なんじらに聖水を授くるを欲せざりしは、われらが苗裔の滅ぶを恐れしがためなり。もし授けんとせば、それ、いとも易きことなり」
聞くなり道士たち、いっせいに平服叩頭し、
「なにとぞ、なにとぞ天尊さま。わたくしどもの恭敬の念をおくみとりくださいまして、些少なりとも賜りませ。さすれば、わたくしども、ひろく道徳を宣導し、国民あまねく道教を敬うべく国王に上奏いたしましょう」
そこで悟空、
「しからば、器をば持て」
(中略)
悟空は立ちあがると、虎皮の腰巻をまくりあげ、花瓶いっぱいに、ジャーッとおしっこしました。それを見た猪八戒、よろこんで、
「兄貴よ、あんたとはここなん年も兄弟づきあいをしているけれど、こんなおもしろいことはついぞしてくれなかったな。おいらも飯を食ったばかりで、ちょうどしたかったんだ」
とて、着物をまくりあげ、まるで呂梁洪の激流みたいに、陶器の鉢いっぱいにジャージャーやりました。悟浄は、甕に半分くらいです。それから衣を整えてもとのところに坐ると、
「小仙どもよ!聖水を拝領いたせ」
(中略)まず一杯汲んでひと口飲んだ道士、しきりに口をぬぐっては、ピチャピチャ舌を鳴らしています。鹿力大仙が、
「師兄、うまいかね?」
老道士は口をとがらせて、
「そんなにうまくはないの。なんだか饐えたような味がする」
羊力大仙、
「どれ、わしにも飲ませろ」
とてひと口飲んで、
「なんだか豚のいばりみたいだな」
飲んだよwwwwwwww
本物の聖水プレイだwwwwww
神通力で言えばチートキャラである悟空が、どこの悪ガキだよっていうレベルの低いいたずらしてるのがたぶん民衆の心を掴んだんでしょう、きっと。盛り上がったんだよ、通りの講釈で語られてる時に。「妖仙が大聖の小便飲んだ!」とか言ってさ。……平和だなあ。
八戒の「兄貴よ、あんたとはここなん年も兄弟づきあいをしているけれど、こんなおもしろいことはついぞしてくれなかったな。」という完全に面白がってるだけの台詞もわりと好きです。
同じシーンを②でもう一度。言葉がわかりやすいのはこっちです。
「わしが聖水を授けようとしなかったのは、苗裔を滅することを恐れたのだ。しかし、与えようと思えば、いともたやすいことである」
道士たちはそれを聞くと、いっせいにひれ伏して叩頭し、
「なにとぞ天尊、われらが敬仰の心情をおくり取りあって、いささかになりとも、授けたまえ。さすればわれらは、広く道教を宣揚し、国王に上奏してあまねく玄門(道教)を敬うようはからうでありましょう」
悟空は言った。
「では、器を持ってまいれ」
(中略)
悟空は立ち上がって、虎の皮のすそをまくり、花瓶にいっぱい小便をした。八戒、喜ぶまいことか、
「おいらも、ちょうど、したかったところだ」
と言って、着物をまくり、じゃーじゃーと、さながら呂梁洪がくつがえったかのよう。素焼きの鉢はいっぱいになってしまった。悟浄もかめに半分ほどやって、みな元どおり上座に帰り、
「なんじら、聖水をいただくがよい」
(中略)まず虎力が一杯くんで飲みほしたが、しきりに口をぬぐい、妙な顔をしている。鹿力大仙、
「師兄、うまいか」
「あまりうまくないな。少し濁酒のようなにおいがする」
羊力大仙もひと口飲んで、
「なんだか豚の小便のような臭みがあるぞ」
妖怪国師の羊力大仙が一口で「豚の小便」と当てている、その利き酒ならぬ利き尿に笑えます。
チート悟空の術比べ対決
さて、さんざん妖怪国師をコケにした翌日、術比べが始まります。
まずは雨乞いで、三蔵を台に上げようとするシーン。
①です。
三蔵、
「弟子や、わたしは雨乞いはできないよ」
八戒笑って
「兄貴はお師匠さまを殺す気ですよ。もし雨が降らなかったら、やつらは薪をのっけて火をつけ、一巻の終わりにするでしょうから」
悟空、
「お師匠さま、雨乞いはできなくとも、お経を読むぐらいはできるでしょう。ちゃんと助けてあげますからね」
それで三蔵しぶしぶ腰をあげ台に登ります。
「ちゃんと助けてあげますからね」の純度100%の優しさ!
それでちゃんと「しぶしぶ腰をあげ台に登」る三蔵のほだされ具合!
もうこの辺はお互い信頼で動いている感じがたまんないですね。
そして見逃せない八戒の「兄貴はお師匠さまを殺す気ですよ」というテキトーすぎるからかいw
②では、
三蔵、
「わしには雨ごいはできないよ」
「雨ごいはできなくても、お経を読むぐらいはできるでしょう。わたしがお助けしますから」
三蔵はようやく腰をあげて壇に登り、端坐すると、心を落ち着けて、胸の中では、かの密多心経を念じていた。
「わたしがお助けしますから」と言葉は違っても優しさは変わらない。
雨乞いは悟空の力添えのおかげで無事に勝ちます。
次は高く積んだ禅台の上での坐禅勝負。なんでもできる悟空ですが、じっとしていられない坐禅は不得手だ、と悩んでいると、三蔵は座禅なら私ができると言って台に上がります。が、しばらくすると妙な動きを始めます。そのシーン。
まず①
すると八戒、
「やばいぞ!師匠がてんかんをおこしちゃった!」
すると悟浄が、
「ちがう、頭痛がするんだ」
きいて悟空、
「うちの師匠は、まじめそのものの君子だ。できないと言ったら、できないんだ。君子タルモノ、アニ謬リアランヤ?まあ黙っていろ。おれさまが見に行ってくるから」
師匠に何かあったと慌てる八戒と悟浄を尻目に、「坐禅ができると言ったら、ぜったいできるんだ。」と一分の疑いも抱かない悟空、ヤバないですか。絶対の信頼感。
しかも、いいですか。八戒と悟浄はそれぞれ「てんかん」「頭痛」と三蔵の内側に原因を見ていますが、悟空は三蔵ができると言えばできるのだから、もしできないとすれば外部からの邪魔が入ったに違いないと考え、すぐに様子を見に行きます。
②では
八戒はそれを見て、
「しまった、師匠がてんかんになったぞ」
悟浄、
「そうじゃねえ、頭が痛くなったんだ」
悟空はそれを聞いて、
「師匠は誠実な君子だ。坐禅ができると言った以上、断じてできるに違いない。まあ黙っていろ。おれが見に行ってくるから」
「師匠は誠実な君子だ」という一言に憧れと敬意が詰まっていますね。個人的には、「好きで好きで仕方ないけど、でもデキてはない」という雰囲気を感じますけど、いかがですか。
誠実な君子だからこそ、弟子なんかとは簡単に関係持てないんですよね。そして、そんな師のことが悟空は好きなんですよね。
坐禅勝負はもちろん三蔵の勝ちとなり、次は首斬り勝負です。これは、首を斬って、蘇生した方の勝ちというとんでもない勝負です。喜んで名乗りをあげる悟空に、三蔵は怖気ずく場面です。
ここは創作の多い西遊記本では作者の創意工夫が現れ、三蔵が泣いて悟空を引き止めたりすることが多い名場面なのですが、現本ではどのような描かれ方をしているか見ていきましょう。
まずは②
国王はそこで、首切り場を設け、まず悟空を連れて行って首を斬るように命じた。悟空は喜んで手を拱いて、
「国師、お先に失礼します」
と言い捨て、あとも見ずに出て行った。
わお、シンプルwww
でも大丈夫。行間を読む空三クラスタならこれでも萌えられる。
「あとも見ずに出て行った」という表現からは迷いなく首斬り場に向かう悟空の背中が浮かんできますが、これってもしかしてぐずぐずしてると三蔵に引き止められることがわかってるからじゃないですか?ねえ?
三蔵が泣いてしまうとそれを振り切っていくのは悟空の心情的に辛いので、泣かれる前にさっさと出て行ったってことじゃないですかね。ね、そういう気の遣い方しそうだよ、この弟子はさ。それで、無事に生還した悟空に対して、師匠は「私に挨拶もせずに死ににいきおって。助かったから良いようなものの」とかなんとかぷりぷり怒るんだ、きっと。
一方、①はどうでしょう。
国王が、
「まず和尚を連れて行って首を斬れ」
と命じますと、悟空はよろこんで、
「はいはい、おさきに行きますとも」
とて手をこまねきつつ、大声で、
「国師さんよ。おさきに失礼、おゆるしを!」
ときびすを返し、朝門の外に出て行きました。三蔵はそれをひきとめ、
「悟空や、気をつけるんだよ。遊びに行くわけじゃないのだからね」
「なにがこわいもんですか。さ、手をはなしてください。すぐもどってきますから」
「悟空や、気をつけるんだよ。遊びに行くわけじゃないのだからね」がめちゃくちゃ可愛いと思いません?首を斬りに行くのに、「気をつける」も何もなくないですか?可愛いなあ。不老不死の身体の悟空と頭ではわかっていても、弟子の心配をして、自分のできる限りの表現で安否を気遣ってやる師匠可愛いですよねえ。
それに対する悟空も「さ、手をはなしてください。すぐもどってきますから」。こんなやりとり、恋人同士しかしねえやつだよ。やだもう。自分からは、はなさないんですよ、この男。三蔵が納得して手を離すまでは傍にいてやるんですよ、やだもう。好き
次は煮えたぎる油鍋の中に入る勝負なんですが、八戒達が笑いながらのん気に観戦しているのを見た悟空は「おればっかり苦労させられて」とへそを曲げて油の中で小さな釘に化けます。
突然油壷の中で姿を消した悟空に皆驚き、悟空は煮え殺されてしまったと三蔵が勘違いする場面。三蔵はさぞかし取り乱すかと思いきや、意外に落ち着いていて、悟空の供養をさせてほしいと国王に上奏します。
①です。
「陛下、しばしお待ちを!あの弟子は仏教に帰依いたしましてより、かずかずの功を立てながら、本日、国師にたてついたばかりに、あたら、油のなかにて落命いたしました。先立つ者は神でございます。拙僧、生を貪るつもりはありませぬ。お上の役人が百姓の民を支配している天下なれば、陛下がもし死ねと仰せられれば、どうして死を厭いましょうや。
ただし陛下、寛大なるお心もて拙僧に、つめたい水を少々と、飯と三枚の紙馬とを賜り、油の釜のまえにてその百文銭を焼いて、われわれ師弟の情をあらわすのをおゆるしください。そのうえで、罰をお受けいたしましょう」
(中略)
三蔵は、その釜に向かって祈りを捧げました。
「わが弟子なる孫悟空よ――
仏の道に入りてより
我を護りし旅まくら
共に大成期したるも
儞(なんじ)の死せる如何せん
生きて只管(ひたすら)経を読み
死して念仏の心あり
儞(なんじ)の英魂しばし待て
幽鬼となるも西天へ」
八戒、それをきいて、
「お師匠様、そんなお祈りってないですよ。おい、悟浄、おいらが祈るから、おまえ水や飯を供えてくれよ」
とて、しばられて地面にころがったままフーフーしながら――
「飛んで火に入るばかザルめ
なんにもわからぬ弻馬温
ざま見ろ死んでばかザルめ
弻馬温の油揚だ
サルはおだぶつ
馬温よおさらば」
孫悟空は、油釜の底で八戒のあほがむちゃくちゃなことを言っているのをきいて、もうがまんができず、もとの姿となりました。すっぱだかのからだから油をしたたらせ釜の底にぬっと立ちあがりますと、
「この大ぐらいのあほんだら!だれの悪口をほざいているんだ!」
三蔵、それを見て、
「悟空や!たまげて死ぬところだったよ」
悟浄、
「兄貴ったら、ほんとに死んだふりをするのがうまいねえ!」
供養をして師弟の情をあらわさせてほしい、その後で罰として死刑になっても構わない、と三蔵は願い出てるんですよね。はあ。一番弟子への愛が重いよ。
「幽鬼となるも西天へ」と言ってるところは、初見では悟空の霊魂も一緒に天竺に連れて行ってやるからね、という意味かなと解釈をしていたのですが、あれですね、ここではもう三蔵は自分が死ぬ覚悟もできているので、現世では果たせなかった西天への到達を二人が霊魂になった状態で果たしましょう、って言ってるのかもしれないですね。死してなお結ばれている二人の絆……。ヤバいじゃん。急に限界闇落ちルートみたいな匂いがしてきましたね。
さらに、悟空が生きていたことがわかったときの三蔵の「悟空や!たまげて死ぬところだったよ」も可愛い。死ななくてよかったですね、師匠。
「兄貴ったら、ほんとに死んだふりをするのがうまいねえ!」の悟浄の台詞の無邪気さも、ほんと可愛いかよ。
ここで注目したいのは、悟空が生きてたことがわかった時に、三蔵と悟浄は驚いた描写があるのに、八戒にだけはないってことなんですよね。あんだけあほらしい漢詩読んどいて、生きてたってなったら「うへえ、殴られる!」とか慌てる描写があってしかるべきなんですけど、全然ないんです。
ってことは、あいつ、悟空が本当は生きてるってことを確信してて、わざと悟空に聞こえるようにあの漢詩読んでますよねw
犬猿ならぬ猿豚の仲とみえて、悟空の本当の力を一番理解してるのは八戒だというのが胸熱展開ですね。
(悟空と八戒は本当は裏でセ○レなんじゃないか妄想もわりと好きな人はこちら→)
②では
三蔵はあわてて、大声をあげ、
「陛下、しばらくお待ちください。わたくしのあの弟子は、仏教に帰依してより、かずかずの功を立てましたが、きょう、国師にさからい、油の中で一命を落としました。拙僧はあえて生を貪るものではありませんぬが、願わくば陛下、少しばかりの水とご飯を賜りたく、釜の前にて紙銭を焼き、われわれ師弟の情を表したく存じます。それを済ませました後には、甘んじて罰を受けましょう」
(中略)三蔵は、釜に向かい、うやうやしく、
「徒弟、孫悟空よ、
戒を受け禅林を拝してより
我を護り西に来たりて恩愛深し
同時に大道を成すと指望せしに
何ぞ期せん 今日 爾 陰に帰せんとは
生前ただ経を求むる意をなし
死後なお仏を念ずる心を有す
万里の英魂すべからく等候(まつ)べし
幽冥に鬼となりて雷音に上らん」
八戒は縛られたまま地上に倒れていたが、
「お師匠、そんな祈祷のしかたはない。いまおいらが祈るから、沙和尚、おまえ、代わりに飯を供えてくれ。
飛んで火に入る与太者猿
物のわからぬ弻馬温
死んでいい気味 与太者猿め
油で揚げた弻馬温
猿はお陀仏 馬温はかたなしだ」
悟空は、釜の底で、八戒の阿呆がののしるのを聞くと、がまんがならず、本相を現わした。丸裸のからだから油をしたたらせつつ、釜の底に棒立ちとなって、
「大飯食らいのばか野郎、誰の悪口を言っているのだ」
三蔵はそれを見て、
「これは驚いた」
「丸裸のからだから油をしたたらせつつ、釜の底に棒立ちとなって」いる悟空ですが、気になるのは釜の大きさですよね。どこまで隠れているんでしょうか。どこまで丸裸の状態が見えてしまっているんでしょうか。
さてさて、次は通天河編
通天河という広い河について早速泣きそうになる三蔵を見ていきましょう。
まずは③
「はあて、わが火眼金睛は昼間は千里、夜でも四、五百里は見えるのだが、この河は向こう岸が見えません。これは、よほど広いのでしょう」
三蔵はおおいに驚き、はやくも涙声で、
「では、どうしたらよかろう」
すぐ泣いちゃうんです、うちの師匠w
いや、まだ「涙声」ですからね。「まだ泣いてない」と怒られそうですね。
次は①
「お師匠さま、広いのなんのって!孫さまのこの火眼金睛は、昼なら千里かなたの吉凶を見、夜だって五百里やそこら見えるんです。それがいま、向こう岸が見えないときてるんですから、川幅は見当もつきません」
三蔵はもうびっくりしてしまい、口はあんぐり、泣き声になって、
「悟空や、どうしたらいいだろう」
「三蔵はもうびっくりしてしまい、口はあんぐり、泣き声になって」の細かい描写が可愛い。どんだけ可愛いことをわからせたいのかw
宿を頼むにもいちいちいちゃつく
次は、すぐに河を渡る事は諦めて、宿を頼もうとする一行の様子です。
①
「悟空や、あの険しい山や川にくらべると、ここはなんとも安らかなところじゃないか。人さまの家の軒下なら、雨露もしのぎ、ゆっくり眠ることもできよう。わたしがさきに、このご法事のご施主におねがいしてくるから、おまえたちは来なくともよい。泊めてくれるようなら呼び入れるからな。しかし、泊めてくれないからといって、さわぎたててはならぬぞ。おまえたちは、こわい顔つきをしているので、びっくりさせたり、さわぎをおこしたりでもしたら、どこも泊めてはくれないだろうからな」
「ごもっともです。さあ、お師匠さま、おさきにどうぞ。ここでお待ちしていますから」
(中略)
そこで三蔵はふりむいて、
「弟子たちや、こっちにおいで!」
なにしろ悟空は気が早い、八戒はがさつ、悟浄だってけっこう無鉄砲、ときていますから、師匠の「おいで」をきいたとたん、馬をひき荷をかつぎ、四の五の言うまもなく、つむじ風のようにはいりこんできましたからたまりません。その老人、ぶったまげて腰をぬかし、
「ひゃあ!化けものだあ!」
と叫ぶばかり。三蔵は、たすけおこしながら、
「お施主さま、こわがらないでください。化けものではありません。わたくしの弟子どもなんです」
それでも老人は、わなわなふるえながら、
「こんな美男のお坊さんが、なんでまたあんな醜いお弟子たちをえらんだものか」
「顔かたちはひどいですが、これでも龍虎は降す、妖怪は退治する、というわけでして」
最初の三蔵の「お主たちはこわい顔をしているから」なんちゃら台詞に対する悟空の「はいはいお好きにどうぞ」的ないなし感が、もう彼氏感満載です。バカップル万歳かよ。もっといちゃついてください。
「美男のお坊さん」「醜いお弟子」と老人に言われて、その両方を少しも否定しない三蔵の心の強さがすごいですね。自分の顔には自信がある男です。
②では最初のいちゃつきは記載されていません。
(前略)
三蔵は振り返って、
「みなこちらへ来るがよい」
と呼べば、三人は馬を引き、荷物をかついで、どかどかと門の中へはいり込んだ。老人は、びっくりして地にぶっ倒れ、
「化け物だ、化け物だ」
と叫ぶ。三蔵は老人を助け起こし、
「お施主、ご安心なさい。化け物ではありません。これは拙僧の弟子たちです」
老人、わなわな震えながら、
「このような気高いお坊さまが、なんでこんな醜い弟子を取られたのだろう」
三蔵、
「顔かたちはよくありませんが、妖怪を降すことができるのです」
こちらの三蔵は、「醜い」と言われた弟子のことを「顔かたちはよくないですが」とちょっとやわらかい表現に変えているのが優しさを感じます。
さてさて、家の中に入ってもまたひと騒動が起きます。
①
こちら三人兄弟、坊さんたちがこけつまろびつするさまを、手をたたきながら笑って見物しています。すると連中、ますますこわがって、頭をコツンコツンぶつけあい、命からがらみな逃げ去ってしまいました。そこへ三蔵があの老人に手をかしてやってまいりましたが、あかりがすっかり消えているのに、三人まだげらげら笑っているものですから、三蔵はかんかん、
「このろくでなしどもが!とんでもないわるさをしおって!わたしが朝な夕な教えているのを忘れたか?古人の言に――
教わらずして善をなすは、これ聖。
教わりてのち善をなすは、これ賢。
教わりても不善をなすは、これ愚。
とな。こんなろくでなしどもは、天下の愚物中の愚物じゃ!人さまのお宅に来てもけじめをわきまえず、お施主をびっくりさせたり、看経のお坊さまたちをこわがらせて散り散りにしたり、せっかくのご法事をめちゃくりゃにしおって!わたしを罪に落とす気なのか」
こう叱られては、悟空たちとてぐうの音も出ません。そんな様子を見て、老人はやっとこの三人が弟子であると信じたのでした。
めずらしく三人の弟子を叱りとばす凛々しい三蔵をご覧ください。
「悟空たちとてぐうの音も出ません」と何も言えなくなってる醜い三人弟子たち可愛いですよね。お師匠様、お師匠様が知らないだけで車遅国でこの三人は妖怪をだまして小便を飲ませたんですよ、叱ってやってください。
②です。
正面の広間では、数人の僧が経を読んでいたが、三人がはいって来たのを見ると肝をつぶし、あわてふためき、命からがら逃げ出した。その騒ぎで、広間のあかりも消えてしまったが、悟空ら三人はおもしろがって笑うばかり。三蔵はおこって、
「おまえたち、かような悪さをして、人さまの家へ来ても遠慮ということを知らず、お施主を驚かし、読経の僧たちを散り散りにしてしまった。せっかくの供養もめちゃめちゃではないか。これではわしを罪に落とすも同然だ」
しかられて三人、返すことばもなく、黙ってしまった。老人もようやく三蔵の弟子だということがわかり、
こっちの説教はシンプルですが、やっぱり何も言い返せなくなっている弟子たちがかわいらしい。
③も見てみましょう。
三人はなおのこと、こりゃ愉快じゃと、はあはあ笑う。和尚たちは、いよいよ恐れて、命あってのものだねとばかり、一人残らず逃げ出してしまった。
このさわぎで、広間の灯も消えてしまったが、三人は、わはははと笑いつづける。
三蔵はきびしい声で、
「これ、なんたることだ。静まれっ。先には施主を驚かし、いままた読経の僧を追い払うとは。これはみな、わしを罪におとすも同じことだ」
と、しかりつけると弟子たちは、はっと静まった。その様を見ると、さてこそまことのお弟子に違いないとわかり、老人は急いで礼をして
「静まれっ」の響きがいいですね。それを受けての「弟子たちは、はっと静まった」が生きています。
さてお斎をごちそうになる場面ですが、一行の食欲のほどがよくわかる台詞があるので、①を見てみましょう。
八戒はいらいらして、
「ご老人、お宅のお下男衆は、なんでまた二列に分かれてうろうろしていらっしゃるんで?」
「お斎を運ばせ、だんなさまがたにさしあげようというわけです」
「なん人のお下男衆が、ついてくださるんで?」
「八人ですよ」
「その八人は、こっちのだれだれについてくださるんで?」
「だんなさまには、四人つけましょう」
「ほほう、するてえと、あの色白の師匠にはひとりだけでよろしいし、毛むくじゃらの雷公みたいなやつにはふたりでいいとしても、陰気くさいつらのやつは八人は要りますぜ。そして、おいらには、二十人からついていただいて、なんとかまにあうといったところですな」
お斎を世話してくれる下男の数で、それぞれの食べる量がどの程度かよくわかるってことですね。三蔵には一人、悟空には二人、悟浄には八人、八戒には二十人以上wやっぱり八戒と比べるから目立たないだけで、悟浄も大飯ぐらいなんじゃないか。
三蔵をはげますいつものパターン
そんなこんなでいつものごとく、通天河の化け物に三蔵が捕まってしまい、悟空が様子を伺いにくる場面。悟空はえびに化けています。
まず①
その上にぴたりと伏せて耳をすませていますと、三蔵がおんおん泣いているのがきこえるではありませんか。悟空はなにも言わず、さらには耳をすませますと、歯がみし、ため息をつきながら、こう言っているのでした――
「わが運命に過失でもあるか
水の災難に見舞われつづけ
生まれし時より波浪のうえ
西天への旅路に渺淵に堕つ
さきには黒河にて難に遭い
いままた氷割れ泉下に帰す
弟子たち救いに来られるか
取経の旅終え無事帰れるか」
悟空、思わず叫びました。
「お師匠さま、ぐちを言ってはいけませんよ!『水災経』にも、『土はすなわち五行の母にして、水はすなわち五行の源なり。土なくば生ぜず、水なくんば長ぜず』とあるでしょ?さあ、孫さまが来たんです!」
それをききつけた三蔵、
「悟空や、助けておくれ」
「ご心配なく。まず化けものをひっとらえ、それからお師匠さまをお助けしますから」
「早くしておくれ。一日のびれば、それだけで息がつまってしまう」
「だいじょうぶですったら。わたしは行きますからね」
言うなりふりむき、ぴょんぴょんしながら出てきて、門の外でもとの姿を現わしました。そして、
「八戒!」
と叫びますと、
三蔵は生まれてすぐ川に流されているので、水難にばかり遭うのは「運命に過失でもあるのか」と言い、「旅を終えて無事に唐に帰れるのだろうか」と危惧しています。
師匠が弱気になっているとわかると、黙っていられなくなり「思わず叫」んだ悟空、愛を感じます。
悟空がはげまし、三蔵は「早くしておくれ」と望むのもいつものパターン。このシーンの後では悟空が「八戒!」と呼びつけた後偉そうにいろいろ指示します。そのギャップですよね。
師匠には「さあ、孫さまが来たんです」「ご心配なく」「だいじょうぶですったら」と優しい言葉をかけるくせに、その他大勢(豚含む)には偉ぶった態度しか見せない。悟空にとって三蔵がどれだけ特別な存在なのか、さあ、一緒にかみしめましょう。
尊いや。
②です。
三蔵はその中で、おんおん声をあげて泣いている。悟空が耳を澄ませて聞くと、三蔵はためいきをついて、
「みずから恨む江流 命に愆(とがめ)あるを
生まれし時 多少(いかばかり)か水災纏わる
娘(はは)の胎腹を出てより波浪に淘(あら)われ
仏を西天に拝さんとして渺淵に堕つ
前(さき)に黒河に遇い身に難あり
今 氷解に逢い命は泉(よみじ)に帰す
知らず徒弟 よく来るや否や
真教を得て故園に返りうるかを」
悟空、思わず、
「お師匠さま、水の災いを恨まれることはありません。お経にも、土はすなわち五行の母、水はすなわち五行の源なり。土なければ生ぜず、水なければ長ぜず、とあります。さあ、悟空がまいりましたよ」
三蔵、それを聞き、
「悟空よ、助けておくれ」
「ご安心ください。これから怪物を捕えて、あなたをお助けします」
「早くしておくれよ」
悟空は門の外に飛んで行って、元の姿を現し、八戒と悟浄に、
こちらの訳では漢語がわりと生かしたままになっていますね。これも趣深い。
水難を恨む三蔵に、「水なければ長ぜず」と五行の水が表す意味を伝え、すなわち水難は三蔵の成長の糧となることを説明しています。この辺りは先導者としての役割ですね。
それを受けての「さあ、悟空がまいりましたよ」の衝撃ですよ。
自分が来たら三蔵が安心することがわかっていてのこの台詞ですよ。赤ちゃんが泣いてて、「はいはい、よちよち、ママが来ましたよー」っていう母親と一緒の精神ですよ、これ。
先導者でもあり、庇護者である悟空は、でも師ではなく弟子なんですよねえ。師匠に叱られるとだんまりしちゃって、破門されるのが何より怖い弟子なんですよねえ。この一見、逆転して見える師弟関係にこそエモさの源があるのかもしれない。
さてさて、今回はここまでです。
空三のエモさを感じつつ、旅に慣れてきた弟子たちのわちゃわちゃ感も可愛いシーンが多かった印象です。
長文にお付き合いくださり、ありがとうございました。
もし、これを機に西遊記読んでみようと思われた方は、どの西遊記から手をつけるかに関してはこの記事を参照して頂けると嬉しいです。