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発想の転換
母が、近所のスーパーへ買い物に出かけようと歩いていたら、小学生に声をかけられ、小さなお手紙をいただいたそうです。
「とつぜんすいません。あいさつをかえしてくれてありがとうございます…」と、小学生の丁寧な文字で書かれた手紙は、「あいさつをひろめるプロジェクト」をしているので、ご協力おねがいしますという趣旨でした。
その後、母は、散髪に行った先でその話をすると、小学生の子どもを持つお店の方から、「最近、怪しい人が小学生に声をかけ警察に通報が入ったから、注意するよう保護者へ連絡があった。」と、聞いたんだそう。
「まあ、ほほえましいエピソードと、物騒なことの両極端だことねぇ!」
母の話に相づちを打ちながら、ハッとしました。
この2極の話の関連性や、時系列は分かりませんが、今までとは違う「子どもたちの守り方」を感じたのです。
学校や子どもたちをとりまく社会には、少なからず悪意の人がいます。
極力、そのような人を子どもから遠ざけようと考えるものですが、悪意の人は特定できませんよね。
ともすれば、神経質になりすぎて善意の人もひっくるめて排除されてしまいがち。
その「門を閉ざし、塀を高くして守りを固める」今までの方法から一転、「門を開放して、地域と融合していく」ことにしてみたらどうでしょう。
地域で子どもたちが悪意に接触しても、多くの善意の人が見守り、見張っていれば、味方となって、犯罪を防ぐことができないだろうか。
「あいさつをひろめるプロジェクト」は、そのきっかけと意識づけの運動ではないかと思い、感心しました。
願わくば、案件や事件となる前にプロジェクトが進んだらいいなと思います。
ピンチに陥ったとき、「今まで」にしがみつかず、こだわらず、思い切ってアプローチの方向を変え考えてみる「発想の転換」。
これで、パーッと目の前が開けることがあります。
歳を重ね、多くの経験の蓄積があるからこそ、安易に「今まで」に任せていないか…
母が、小さな手から受け取ったメッセージで多くのことを考えました。