見出し画像

確かにそこに存在した透明な何かについて -『僕はかぐや姫』の硝子-

 これはエッセイになるのか、書評になるのか、はたまた一つの散文詩になるのか、今の私にはまだわからない。凡庸な作品論かもしれないし、単なる読書感想文かもしれない。たぶん、もうすでに読んだことのある人のために書くと思う。私自身を含めて。ともかく言えることは、私は今朝一つの作品を手に取り、そしてその最後の一文を読み終えたあと、これを書こうと静かに誓った、ということである。

 子どもの頃、砂時計の砂はもっとゆっくり落ちていた気がする。決して触れることができないその砂に触れることを夢見て、いくらでも眺めていることができた。あるいは、その砂が落ちている間だけは、眺めていることが許されている、そんな気がした。

 『僕はかぐや姫』を読むことは、本来私の人生設計のリストにはなかったことである。作者である松村栄子の代表作『至高聖所』については、私の通っていた大学がモデルになったことを知り、またそれが作者自身の出身校であることも知って、関心を持って読んだことがあった。<モラトリアム>という虚構を、そしてその虚構のひんやり冷たい外縁を丁寧に指でなぞるようにして眠りに落ちていくような、そんなお話だった。
 それまで私は、小説に心打たれるという経験をほとんど持ち合わせない、ロマンのわからないプラトニストだった。でも、プラトニストであるよりはロマンチストでありたかったのだろうとも思う。
 『至高聖所』には、そんな私の心を優しく撫でる言葉がならび、私の心臓は何かでごろごろとなぞられた。まるで人より深い指紋が、その溝の一つ一つが、私の脈拍に重なるように動いた。おそらくあの頃、『至高聖所』と呼応した頃、私の心は虚構で満ち溢れていて、その虚構の<ほんもの>が、どこか遠くの世界にあるのだと固く信じていたのだと思う。私は青年であるよりは少年で、少年であるよりも少女だった。

「少年という言葉には爽やかさがあるけれど、少女という言葉には得体の知れないうさんくささがある」              
 (『僕はかぐや姫』, 57頁)

 『僕はかぐや姫』は少女であることよりも少年であることを選ぼうとした<僕>と<わたし>の物語だった。

 松村栄子は『僕はかぐや姫』という作品も書いていて、それがなんと母校の隣の学校を舞台にしているらしく、さらには「お隣」として母校も、さらには自らが所属した部活までも登場するのだという、そういう友人ができた。
 あくまで空間的なものに限るかもしれないが、それでも『至高聖所』の舞台で過ごした一人の青年として、時間的にも空間的にも『僕とかぐや姫』を経験したその友人の薦めは、何か運命的なものにも思えた。だからリストにそっと加えた。我ながら浅薄なロマンチストになったものである。


「どんな壊れた時計でも一日に二回は正しい時刻を指す」

 ニヒリストの言葉らしく引用するのも憚られるのだが、少々美しい言葉を並べすぎたために、この辺りでバランスをとりたくなってしまう。私の時計は体内にあるそれ以外まったく壊れていないはずだけれど、仮に壊れていたとしても、読むと決めてからもう二百回近く正しい時を示したはずである。そしてある夜の終わり、時計の針に動かされるようにして、私は購入していた『僕はかぐや姫』を手に取った。

 文庫版の表紙の彼女は、私には女性に見えた。

「近隣の少しできのいい少女を集めたこの手の学校はそこここの地方都市にあるだろうから、もしもこうした日常に教育的効果があるというのなら、今頃日本は良妻賢母の供給過剰になっていなくてはならない」
(『僕はかぐや姫』, 10頁)

 松村栄子のキーワードは「地方都市」「透明」「ひんやり」だと勝手に思っている。この作品でもやはりか、と思った。『至高聖所』の舞台である<新構想大学>もそのような場所にある(都市というにはいまだに辺鄙すぎるところであるとはいえ)。
 <地方都市>を構築するものってなんだろう。昔ながらの<伝統>や<規範>、それから<地元>という観念。でも<都市>と名乗るだけあってそこまで田舎にあるわけでもなく、どっちつかずの地に足つかない感じ。それと、個人的には<コンクリート>という感じがする。セメントやアスファルトじゃなくてね。表面がひんやりと冷たくて、窓は透明な硝子。そんな印象。そしてだからこそ、六本の大理石の放つ威厳は天に通じていた(『至高聖所』, 149頁)。

 抽象論ばかり並べると頭がくらくらしてしまうかもしれない。『僕はかぐや姫』の舞台を少しだけ、さらっと、具体的に述べておこう。舞台となるのは地方都市の伝統ある女子高。そこで日常を過ごす千田裕生が主人公、主要な人物として原田、辻倉尚子、狭山穏香がいる。穏香だけが<僕>ではなかった。物語は少女たちのありふれた日常を描きながら、そこにしかないものを浮かび上がらせる。<主要な人物>なのかどうか定かではないが、西崎佳奈がその役回りを引き受けた。語り得ないものについてはただ示されるのみである(『論理哲学論考』, 6・44)。

 この作品には山括弧がそこかしこに散りばめられている。結晶が割れ、その破片が水面を満たしている。

 それらはたぶん、彼女たちの持つ、そして彼女たちだけが持つことを許された虚構のメルクマールで、読者はそれに外側から触れることができる。決して触れることのできない場所は、その奥にある。

「<知性><知的な>」 「intellect-intellectual」
「<良心><良心的な>」「conscience-conscientious」
「<伝統><伝統的な>」「tradition…」
(『僕はかぐや姫』, 10-11頁)

 物語冒頭から既に、「伝統ある女子高」(Ibid. , 9頁)を形づくる虚構たちが<シケ単>に並んでいた。この作品でもっとも<ほんもの>の虚構は<僕>であり、<僕>たちは皆否定語の先にその透明なまなざしを求めている(Ibid. , 27頁)。

 17歳という年齢も、裕生にとって特に大切な数字だった。それ以外は「美しくない時間」(Ibid. , 17頁)が流れた。

「あのね、僕は常々思ってた。年齢を問われるのが不愉快じゃない時期があるとしたら、それは三歳の時と十七歳の時だけだって」
(Ibid. , 7頁)

 なぜ3と17なのか、結局最後まで私にはわからなかった。かぐや姫は18歳になると月に帰るのだろうか。違うかな。18歳になったとき、自分がかぐや姫ではないこと、誰も迎えに来ることはないのだということを悟るんじゃないだろうか。私はもう少年ではないし、少女でもないのでわからない。

 尚子はペンネームを<辻倉尚>といい、文芸部員からは<尚クン>と呼ばれている(Ibid. , 19頁)。同じ文芸部に所属する仲間として裕生と尚子は出会う。でも裕生と尚子がほんとうに出会ったのは、一つのセンテンスの上だった。

「ぼくに与えられた ぼくの一日を ぼくが生きるのを ぼくは拒む」
(Ibid. , 38頁)

 そのときの二人は、まだ16歳の少女だった。

 私は、二人の間に存在するただ一つの矛盾に震えたと思う。教室の半分くらいしかない小さな部室の中で、二つの魂が漸近線を描き、決して触れてはならないことを互いに知った。だから二人は、おおらかなあるいはがさつな振る舞いの中でも、心の内だけは語らなかった。

「語れないけれども、そこに何がしかのものがあるということだけが確認された」(Ibid. , 31頁)

 そこにあるものがお互いの目に映ったとき、二人の間の矛盾は解消された。<僕>と<僕>の間に響いた硝子の触れ合う音は、尚子の魂を曇らせた。そして尚子は<あたし>になった。その瞬間にも、二人の間にはセンテンスだけがあり、残ったものもただそれだけだった。

「けれど、ふたつながら並べてみたそれが、硝子どころか蛙の卵のようにふやふやして醜いと気づいてから、尚子は<僕>を捨て、安っぽい感傷を捨てて魂をビロードの袋に詰め替えた」
(Ibid. , 94頁)

 蛙の卵という形容が、透明さだけ残して美しさのほぼすべてを溶かし切ってしまう。おもしろい。裕生の元カレ藤井彰との会話が思い出される。彼はモーニングで出されたゆで卵に塩を振りながら、裕生がもらす18歳への嘆きを「なんで?」と流し、「何も始まってない」と言いながら「一口で卵をパクりと食べた」(Ibid. , 75頁)。彰は裕生とセックスができなかったことを悔やんでいた。それを経験したら、男になれたはずだった。「男になって何もかも始まる」彰と、女になって「何もかもおしまい」になる裕生(Ibid. , 76頁)。彰にとって、裕生や尚子があれほどまでに見たくない、手に入れたくないと願ったものは、簡単に飲み込んでしまえたのだった。

 この作品において、初めから女であり、初めから<あたし>だったただ一人の少女は西崎佳奈である。「男物のコロン」を香らせ、煙草を吸い(Ibid. , 19頁)、太い銀色のバンドのついた「男物の時計」を身につけた(Ibid. , 45頁)。触れれば壊れてしまいそうなほどに繊細で、決して触れることのできない砂を宿す<僕>たちの砂時計とは全然違う。男用のバンドが緩く、掌と肘の間をルーズに行き来するそれは、はるかに硬く、そして毅然としていた。

 巨視的に見れば、彰と佳奈は美しい対称を示している。その中心線が裕生であり、その線は頼りない。その線に沿うようにして、狭山穏香が現れる。

「裕生にとって尚子が闇の化身なら穏香は光の化身だった。存在しているというそれだけで有り難かった」
(Ibid. , 53頁)

 裕生と穏香を隔てる隙間は、無音だったと私は思う。「裕生は「見る者」だった」(Ibid.)。教室から中庭の紫陽花を見るようにして、裕生は穏香のことを見た。

 裕生が「透明な人間性」に他ならないと固く信じた<僕>が「のっぺらぼうな人間」だと宣告したのは、意外にも穏香である(Ibid. , 59頁)。尚子との間に透明さ以外の何者も残らないことを見た裕生は、穏香との間に、その透明ささえも空っぽの証である可能性を見る。彰と佳奈の織りなす軸とちょうど直行するようにして、彰と穏香もまた、裕生を否定する対称を示した。彰と穏香はたぶん、全然似ていない。でも二人とも、裕生や尚子が求めた「性以前の透明な精神性」(Ibid.)を知らなかった。二つの直線に否定された零地点として、中心にただ<僕>だけが残った。

 この作品では、<文芸部>のほかに<文学部>が登場する。裕生の通う女子高のモデルとなった福島県立磐城女子高等学校(現:福島県立磐城桜ヶ丘高等学校)と、その「お隣」である福島県立磐城高等学校に、実際に存在する二つの部活である。作中では互いにライバル関係にある様子だが、実際のところどうなのかはわからない。今でもバチバチやっていたら面白いなと思う。もしそんな感じなら文化祭に行ってみたい。
 私としては、<文学部>のほうが断然かっこいいのだが、作中では目の敵にされている。「好き嫌いよりは理論で話したがった」(Ibid. , 83頁)というのはたしかに二日酔いの朝のような心持ちがする。それに、裕生演じる<うつむく青年>や原田演じる<分別ある好青年>(Ibid. , 17頁)が、実際には「中年男のように小肥りな男の子やにきびで作った顔に脂を塗ったような男の子」(Ibid. , 80頁)でしかないとあっては、興醒めどころの騒ぎではない。例の友人もそういう部活にいたのだなと思うと、裕生が部長に向けたのと同じ視線を向けざるを得ないかもしれない(軽い冗談である)。

 最終的に、裕生は<僕>から離れ、<わたし>になる。<あたし>ではなく<わたし>。裕生はまだ、硬質さや、毅然、透明さを求めている。静けさを手に入れた代償に、哀しみに満たされた(Ibid. , 95頁)。けれど、少し離れてみると、<僕>が初めて姿を現す。それはたぶん、ずっとそこにいたはずなのだが、裕生には近すぎて見えなかった。

「<僕>と書くとき、それは、ひとつの目、千田裕生の肉体やうっとうしい思惑を離れたひとつの魂の視点だった。透明な視点。何者でもない僕」
(Ibid. , 46頁)

 自分で自分の目を見ることはできないし、何者でもない魂そのものに触れることもできない。裕生は<僕>から離れた<わたし>に立って、初めてそれを見る者になった。「彼はもう、日々うっとうしくなる千田裕生の肉体や精神から逃げ出したのだ」(Ibid. , 98頁)。<僕>にとって、千田裕生の肉体や思惑はうっとうしかったが、それはそのまま、裕生に見えない彼を示していた。愛するにふさわしい少年だった。裕生は哀しみのすぐ側で、満足感をおぼえた。

「死者に手向ける花」といわれる紫陽花の陰に、裕生がいつも眺めてきた紫陽花のすぐ側に、辛抱強く、<僕>の魂はあった。

あとがきとあとがき 

 結局、単なる読書感想文という感じに収まった。収まりがいいと思う。書きたいことはほかにも山ほどあるのだが、それをするのは野暮だと思ってやめた。流石に「かぐや姫」にほとんど触れないのは我ながらどうなのか、とも思うのだが、それは実際に手にとって一人ひとりが読むものだろう。読後、松村栄子の書いた新たな「あとがき」を読んでみた。「書く」ということの恐ろしさと、何十年も時を隔てて、それでもまだ幾度となく扉を叩きにくる昔の自分について書かれていた。前者は痛いほどわかる。彼女ほどわかるのかどうかはわからない。でも今回、この作品を読んで、魂の震えがおさまらないうちにこれを書きたいと思って、書いた。震えがないと言葉は出てこないけれど、言葉は過去の震えも蘇らせてしまうから怖い。私も色々思い出した。この作品を薦めてくれた友人に感謝します。

 僕はとにかく長生きしたい。100年くらい生きたら、いったい幾つの自分が訪ねてくるのか楽しみである。

いいなと思ったら応援しよう!