007 きしもとゆうか
TO あとどノート
こんにちは!2015年度卒業生の岸本優花です。
隠岐生まれ隠岐育ち、生粋の隠岐人です!
私も文章を書くのは得意ではないのですが、
頑張って書いてみたので最後までお付き合い頂けると嬉しいです。
私は、保育園から中学校を西ノ島町で過ごし、
高校は隣島の海士町にある隠岐島前高校に進学しました。
理由は、
「近いし家から通えるし、まぁここでいいや。」
なんて軽い気持ち。
同級生は、東京、大阪、岩手、なんとドバイなど、日本のみに限らず様々な場所からたくさんの島留学生が入学してきました。
生まれた場所が違うし、育ってきた環境も全く異なるため、初めは文化の違いや、価値観の違いに戸惑ったことを覚えています。
時には衝突しながらも、一緒に楽しい時間を過ごしていく中で、
いつの間にか打ち解けていき、
今ではかけがえのない大切な存在となっています。
高校卒業後は就職や大学進学などで、みんなバラバラになってしまいましたが、今でもどこか旅行に行った時には連絡を取り合って、会ったりもしています。
全国各地に友達がたくさん居るって、素敵だと思いませんか?
これは、島前高校で過ごしたからこその自慢の一つです。
「まぁここでいいや。」
といった気持ちで入学した高校も、卒業する時には、
「本当にここで良かった!」
と思えるようになっていて、それは私にとっての財産となりました。
高校卒業後は、初めて地元を離れて本土の短大に進学し、保育士の資格を取りました。
そして卒業後はすぐにまた地元へ戻ってきました。
地元に戻ってきた理由は、
高校から大学の五年間で身近な人の死を何度も経験して、
そこから感じたことが大きかったように思います。
そうした経験から、自分も含め家族や友達、身近な人など、誰しもいつ何があるか分からないと感じました。
生きているうちは出来る限り、大切な人達の近くで一緒に楽しい時間を過ごしていきたいと思ったことが一番の理由です。
島の暮らしにも人にも慣れていたので、何の迷いもなく戻ってきましたが、
いざ島に戻ってきてみると、
高校生までの島のイメージと社会人になってからの島のイメージは大きく変わりました。
戻ってきて一年目は、同年代で気を許せる友達も居なければ、もちろん仕事やプライベートの悩みを相談できる相手もいない。
狭いからこその良さもあれば、反面悪い部分もたくさん見えてくる。
友達が近くに居て、いつでも気軽に話せていた今までの生活とのギャップに、心も身体も付いていけず、本当に辛くて苦しい日々を過ごしました。
ちゃんと理由があって戻ってきたはずなのに、
「何で私は今ここに居るんだろう?戻ってきて本当に良かったのかな?」
と何度も自分に問い、迷い、後悔したこともありました。
そんな時、青山さんをはじめとした先輩方も少しずつ島へ戻って来られて、「島にいる卒業生で集まろうよ!」と声をかけて頂きました。
(これが家督会青年部の始まりかな?)
でも、行きたい気持ちはあっても、なかなか身体が付いていかず、初めは断ってしまうことが続きました。
それでもしつこいくらいに(笑)誘い続けてくださった先輩方には本当に感謝しています!
今だから話せるのですが、普通に平凡に生きていければそれで十分という考えの私は、周りの人のようにポテンシャルや意識が高いわけでもないです。
夢もなければ目標もない、話すことも書くことも、人に伝えることも苦手。
「こんな何もない私なんかがここに居ていいのだろうか?」と引け目に感じていた時もありました。
でも、家督会青年部は、
"ダメな自分"も全て受け入れてくれて、
"ありのままの自分"でいいんだと思わせてくれる仲間がたくさん居る、
そんな居心地の良い場所です。
今、私が毎日楽しく元気に過ごせているのは、間違いなく家督会青年部の仲間がいるお陰です。
この場を借りて感謝を伝えさせてください。
いつも本当にありがとうございます!
こんな私ですが、家督会の一員として、島前の為、皆さんの為に少しでも力になっていければいいなと思っています。
最後になりましたが、皆さんも私達と一緒に、島前で楽しい思い出を作っていきませんか?
最後まで読んで頂き、ありがとうございました☺︎
岸本優花(1997年10月生まれ 西ノ島町浦郷出身)
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