【新聞社の仕事】過ぎたるはなお、及ばざるがごとし
まず見出し、次に割り付け
新聞レイアウトの仕事。とにもかくにも一番大切なのは見出し、そう自分に言い聞かせています。正しく、流れよく読み進められるように読者を本文へ誘導することが求められます。
通信社から配信される原稿ならば、届いた段階である程度の見出しはついていますが(もちろん当てにしてはいけない)、その名の通り「自社もの」と呼ばれる自分の会社の記者が書いた原稿、特に私が今担当している地方版の原稿はそうなっていない(見出しがない)ことが多いので、いちから見出しを組み立てなくてはいけません。
その次が、割り付け。キレイな写真ものなら「へそ」と呼ばれる真ん中の目立つ位置で大きく載せたい、でも他の記事も入れないといけない、どうやったらうまく配置できるかなぁ…そんなことを考えます。
みせるための工夫
そして、それらが大丈夫そうだという目星がつきそうなときで、時間的に余裕があるときには、面をつくる担当者として「ビジュアル的にみせることはできないだろうか」ということを考えます。地方版の締め切りは社会面や一面よりも早いので、まずは内容面で誤りがないかどうかが第一優先。それをやった上で、ちょっと色をつけようかなということを考えます。
やりすぎは禁物
しかし、これをやりすぎるのは禁物です。たとえば、桜が咲いてキレイですというカラー写真の記事を、太いピンクの罫線で囲んでハコにしてしまったら、私の会社的にはもうやりすぎですし、私もやりすぎだと思います。
だって、写真で大きく紹介するような美しい桜は、もうそれだけで十分きれいなんですもの。そこにピンクの罫線をつけてしまってはクドくなってしまいます。イチゴ味のイチゴ、みたいな。
たとえば、今年の桜の開花、ウチの地方はどうでしょう?みたいな記事で、特に写真もないようなときには、ピンクの罫線の箱もアリかもしれません。それが、「桜の記事かしら?」と読者を誘導するアイコンになりうるからです。
色を付けるなら、そこにロジックを
漫然と色をつけるのはやめたい…と考えます。新聞業界では印刷のカラー化が進んで、やろうと思えばカラフルな紙面をいくらでもつくれます。見出しもカラー、本文の背景もカラー、さらには本文もカラー…
でも、それは本当に記事や写真を生かしているのか。逆に殺すことになっていないか。色をつけるには、そこにロジックがほしい。それが私の考えです。
色をつけるのはカラーにするということだけでなく…
色をつけるというのは、ただカラーにするということだけではありません。たとえば地元で収録された映画のクランクインみたいな記事で、フィルムのイラストをデザイン担当の部署に作ってもらったり自分で作ったりしてその上に見出しを当てはめたりすることがあります。すると、紙面としては映画っぽさが増したビジュアルになります。
しかし、見出しをさまざまに検討した結果、作ったイラストにうまく当てはまらないことがあります(見出しが長くor短くなりすぎてしまった)。そんなときは、思い切ってイラストを使わないという決断もしなくてはいけません。イラストの形に合わせて見出しを変えるというのは、「見出し第一主義」から外れてしまいます。
基本を大切に
色付けや「お絵描き」はあくまでも、できるならやるもの。新聞を読む人はまず見出しを読む、あるいは写真を見るのであって、そっちに時間を割きたい。整理の仕事を長くやると、いろいろいじりたくなってしまいますが、基本を大切にしたいものです。
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