【ニブセキの息子】障害を受け止める勇気 ー息子が産まれるまで①ー
郊外のクリニックで、「これが赤ちゃんですね」と妻の妊娠を知ったときは本当にうれしかった。私の実家、妻の家両方にとって初めての孫。かわいい姿を早く親に見てほしい、と率直に思った。
母子手帳をもらい、検査を重ねながら、日々の成長を確認する日々。妻は「ここで産みたい」と、周囲に聞いて決めた産科の病院に通っていた。
何回か通ったある日。たしか、男の子だとわかったあたりだったと思う。いつも穏やかな産科の先生の顔が曇ったのだ。病名は明かさなかったが、どうやら頭に水がたまっているらしい。詳しい検査、診断が必要だということになり、別な大学病院を紹介してもらうことになった。
障害について、ほぼ知識がない状態ではあったけれど、頭に水…と聞いて、「水頭症」という病名はなんとなく頭に浮かんだ。このことを母に話したという妻も「水頭症じゃないかって、お母さんが」。ネットで調べると、ずっと寝たきりの子もいるとか、排泄障害と付き合わなければならないとか、やっかいそうなことが書いてある。読めば読むほど不安は増していった。
でも、障害があると決まったわけじゃない。詳しく診てもらったら、やっぱり違うんじゃないか。
そのころ、私にはだいぶ前から温めていた一人旅があった。子育てが始まったら、おいそれと旅行はできなくなるからと計画していたもの。それに行ってしまったのだ。
旅行好きな私のことを知っている妻は「行ってきたらいいじゃん」と言ってはくれた。でも、今思えばひどい選択をした。しかも、よりによって旅先で大地震が起きた。たまたま動いていたわずかな航空便を頼りに、逃げるように自宅に戻ってきた。ただでさえ心労がかかる時期に、さらに心配をかけてしまった。
帰ってきた次の週、医師から子どもの水頭症を正式に告げられた。数千人に一人の割合だという。
そんなこといったって、前向きにやるしかない。二人とも、気持ちは一致していたと思う。けれど…。子どもと私たちに課せられる負担はどんなものなんだろうか。頑張ったところで、それは報われるものなのか。
見えない不安に押しつぶされそうになった。二人ではとても状況を消化しきれず、二人で泣いた。その日は出前でトンカツを食べたが、味がしなかった。