![見出し画像](https://assets.st-note.com/production/uploads/images/57738953/rectangle_large_type_2_2552cda8c1b4110a05ed83f879abc305.jpeg?width=1200)
【考え事】死に際に「いい人生だった」と思えるように
30代の若造が何言ってんだ、くらいのスタンスで読んでもらえればありがたいです。
30数年のこれまでを振り返り、将来にイメージをふくらませる中で、私のこれからの生き方は、結局のところ、タイトルのような目標に収れんするのではないかと思うようになった。
会社員生活10年を過ぎて
新聞記者になりたいという夢を思い描き、高校、大学と進学。運良く今の新聞社に拾ってもらい、現在は記事のレイアウトをしている。妻と出会い、障害のある息子を授かり、日々、思い悩みながらも成長を心強く感じながら、仕事に家庭に、楽しく過ごしてきたつもりだ。
しかし、入社10年を過ぎると、ふっと「さあ、これから先、どうしようか」と考える場面が出てくる。会社的には一番使われやすい時期で、日々の仕事をいろいろと任されつつ後輩にも教えつつという役割で、仕事中はそんな余裕もないけれど。
取材記者なら、この分野を突き詰めたいとか、海外支局を目指そうかとか。整理記者なら、かっこいいレイアウトを極めたいとか、デジタルに力を入れたいとか。そういう野心に燃える人もいるだろう。私も、いち整理記者として役に立てることには一生懸命取り組みたいと思っている。
家庭のことで言えば、息子をどう育て、付き合っていくか。マイホームはどうするのか。お墓はどうするのか。こちらも、考え始めたらキリはない。
高校や大学時代の友人、知人に目を向けると、起業している人、投資目的にマンションや株を買った人、180度違う仕事を始めた人…一人ひとり、まったく別々の道を切り開いている。
自分の人生、結局、何なのか?
ふと、考える。かりに新聞社を定年退職し、嘱託としてのつとめも終わった後の自分に、何を残せるのだろうかと。自分は昔、新聞社でこういうことを頑張った!と誇りを胸にゆっくり過ごす人もいると思う。新聞社で培った経験を生かせる仕事に就くのもありだろう。まったく違う仕事をするのもいい。子育て頑張った、あとは夫婦で貧乏旅行ざんまい、あー楽しかった!というのもあこがれる。
人はいつか死ぬ。それはベッドでなのかどうなのか分からないが、人生を振り返る時間が、一瞬でもきっと訪れると思う。そのときに…
「良いことも悪いこともいろいろあったけれど、ともあれ、いい人生だった」
と思って、生を終えたい。私は今のところ、そこに落ち着いている。何がしたいというのは、あくまでもその手段であって、とにかく最期に人生を肯定したところで終わりたいのだ。
はじめ、「後悔をしないこと」と書いたところで、いや違うと思い、消した。振り返れば後悔の連続になるだろうし、そんな不安を抱えた中で死にたくない。
完璧な人間はいない。後悔をしてもいいと思う。いろいろあったこと、それはそれとして、いい人生だったと思いたい。そのために何ができるかを考え、行動したい。
私がこの文章のように思った理由を形作ったものとして、テレビドラマ「おしん」の存在が大きいです。以下、ネタバレです。ーー明治期にめちゃくちゃ貧しい農家で育ったおしんは、百姓では一生不幸なままだと思い、商売じゃなきゃだめだと思うように。震災や戦争を乗り越え、貧乏は嫌だとのモチベーションを糧に、スーパー事業の商売はうまくいった。しかし人生後半に差し掛かるにつれ、会社はしだいに下り坂に。事態打破のため社長の次男は事業拡大を優先。それが不義理を生んだところで、すでにおばあちゃんになっていたおしんは会社存続にかかわる嫌な予感を察し、突如家出。人生を、育て方を、何か間違っていたのかと自ら問い掛け、故郷に向かうーーというところが物語の導火線になっています。おしんは死に際とまでは言えませんが、まさに「人生これでよかったのか」と問うたわけです。その振り返りが全編で展開されるのです。おしんは冬の川での父子の別れが象徴的な場面としてよく紹介され、耐えることが大事なんだという捉え方をされますが、そういうベクトルの作品ではないと思います。おしんの本放送は、私が生まれる前。とっくに物語を知っている祖母と一緒に、CSでの再放送に釘付けになりました。途中からは弟も並んで見てました。大変長いのですが、とっても面白いので、機会があれば見てみてください。