【ニブセキの息子】まさかの廊下で「ぶらさがり」 ー二分脊椎症の息子の誕生ー
息子は帝王切開で産まれ、しかもすぐに腰の髄膜瘤を埋め込む手術をしなければならなかった。普通にイメージされるような、出産後すぐの抱っこはできなかった。
出産は午前中。手術室で妻と別れ、控室でしばらく待った。言われていた時間になったところで、あらかじめの指示で、手術室とNICUの間にある廊下で待つのだ。
つまり、手術室からNICUに息子が運ばれてくる途中の廊下で数分だけ、産まれたての息子を見たのだ。マスコミでは、政治家などが出入りするところを記者が囲み、質疑することを「ぶらさがり」というが、まさしくぶらさがりだ。
こういう形での初対面となったが、私はうれしくて仕方なかった。今まで画像でしか見られなかった息子が見れる。顔も分かるのだ。
カツカツカツカツ…看護師たちが、ガラガラと大きな箱を引いてきた。その中に、息子の姿があった。
髄膜瘤を守るため、うつ伏せの体勢。泣いてはいなかったけれど、元気に産まれましたよと看護師は伝えてくれた。こんな小さな手で、しっかり生きてるんだな、これから一生懸命、生きていくんだな、そんなことを考えながら、この日のために久しぶりに取り出した一眼レフを夢中で向けた。可愛くて仕方がなくて、私はずっと笑顔だったと思う。
2、3分くらいで、看護師たちは再びNICUに息子を引いていった。その後、息子はしかるべき処置をしてもらい、一晩したところでやっとじっくりNICUで対面できた。
妻はそのあと、帝王切開したおなかをふさいでもらい、部屋に戻ってきた。あとで聞いた話だが、妻はこの時点で、本当に子供を育てられるのか、愛することができるのかと自問したという。出産直後は気持ちが不安定になると聞いたことがあるけれど、やっぱり、怖かったんだと思う。
【ここから先、息子の手術後の写真があります。注意してご覧ください】
息子はその後、髄膜瘤を埋め込む手術が半日がかりで無事終わり、手術をしたところが縫い合わされていた。とても痛そうに見えたが、これをしなければ、命をつないですらもらえない。しばらくの間、うつぶせの生活が続いた。
妻には、体が落ち着くまもなく、搾乳が待っていた。NICUの場合、直接おっぱいをあげることがてきないので、母乳をパックに入れ、そのまま移し替えて飲ませるか、冷凍しておいたものを解凍して飲ませるか、しないといけない。出はよくなかったみたいだけれど、搾乳機を使ったり、マッサージをしたりして、できる限りのことをしていた。私にできることといえば、病院食では食べられないものを用意するくらい。あとは、時間があればNICUに顔を出し、息子の寝姿を見ていた。
産まれてから二週間をめどに、脳にシャントを入れるかどうか、最終的に決まる。まあ、おそらく入れることにはなるだろうと思っていたが、手術が不要ならば、しないに越したことはない。とりあえずは経過を待つことにした。
▲生まれて2日後、髄膜瘤を埋め込む手術が終わったばかりの息子。今も抜糸跡は残っているが、だいぶきれいになり、プリプリのお尻がご自慢。