【ニブセキの息子】話を聞いてくれるだけでうれしい
新聞社の職場では、流れになったときは二分脊椎症の息子の話をするようにしている。新聞には、障害を乗り越えて活躍するような人たちや、療育に関する記事が載ることがあるから、そういうことはある。子どもが手術を受けてという話はみんな知っているので、具体的にどうなのかということを伝えるようにしている。
先日は、隣で仕事をしている先輩と話をした。その先輩にもお子さんがいるのだが、「2歳だけれどまだ歩けない」ことや「一日5回、カテーテルで導尿をしなければならない」ことを話すと驚かれ、「それは大変だ…」と、なんとなく重い雰囲気になってしまった。
公的な支援は結構受けられるし、その二つ以外は脳みそも含めて今のところ健康なんですけどね〜というようなことも明るく話すのだが、やはりイメージする子どもの姿はかなり違うようだ。
「クルマでいこう!(番組名)です。きょうはルノー・キャプチャーです」とテレビ番組のマニアックなモノマネまでするような息子や、階段歩くと言って手つなぎで階段上り下りをせがんでくる息子の姿…なかなか想像しづらいと思う。
たしかに導尿については心の準備が必要だったし、歩行についても、いつかは絶対歩けるという保証があるわけでもない。でも、だからこそ、この子にしかできないこと、見えないものがあると思うし、武器になりうる。息子には頭をフル回転させてそれを見つけてほしい。
職場の人に対しても、周りの全ての人に対しても、おもいはひとつだ。「こういう障害があることをただ、知ってほしい」。それは、話を聞いてくれるだけでかなう。だから、話を聞いてくれるだけで、とってもうれしいのだ。
もう少しして、息子がもっと話せるようになったら、二分脊椎症特有の感覚の鈍さについて聞いてみよう。私も、知らないことがたくさんある。息子からたくさん教わって、たくさん伝えよう。