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僕は26歳まで童貞だった。

僕は26歳まで童貞だった。
そしてその童貞だった時期

僕は、めちゃくちゃ拗らせていた!

寝ても覚めても拗らせていたし、悶々とした日々を過ごしていたから、多分あの時の僕の心音は
「ドクドク」とか「ドキドキ」じゃなくて
モンモン」だったと思う。
なんなら口で「モンモン」と言っていたかもしれない。
それくらい悶々として拗らせていた。

今僕は32歳。
あの頃と変化した事は、童貞じゃなくなった事と
まだ拗らせてる部分はあるし悶々するけど、なんとかその感情と向き合える様にはなった。

あの拗らせて悶々とした日々は、今でも辛いと思える日々だったし、もし神様がいて俺に

お前は今から、もっとも拗らせていた20代前半に戻るのじゃ!

と言われたら俺は神様の足舐めてでもそれは阻止したいし、足舐めるので過去に戻るのを阻止出来るのなら足と言わず全身舐め尽くす。

多分「お主」とか「〜じゃ」と言う神様は男だし、
結構年齢いったおじいちゃんだと思うけど、
あの辛い日々に戻る事になるくらいだったら、喜んでそのおじいちゃんを舐め尽くす。

それくらいあの日々は嫌だった。
世の中に対していつも不平不満を持っていたし、自分の事もあまり好きじゃなかった。

だけど、その戻りたくない日々が全くの無駄だったとは思っていない。

なんなら「あの日々があったから今の自分がいる。」と言えるくらいだ。

拗らせと悶々で得たものもある。

それが観察力だ。
この観察力、人に対しても発揮するし、自分に対しても発揮する。

「あ、この人今何か言いたそうなだな。話振って話させよう。」とか「あぁ〜俺イライラしてるわ。
何でイライラしてるんだろう?」と人や自分を観察する事で、コミュニケーションや日々の自分のメンタルチェックにもなっている。

今32歳だから言える事なんだけど、若い内に童貞で
拗らせておいて少しだけ良かった。
 
他人を見て「何で俺だけこんな拗らせているんだろう?」って疑問や「何で俺は周りの人と同じ事が出来ないんだろ?」自問自答した日々があったから
人の事を観察する力と考える力が付いたのだろう。

若い頃に楽しい恋愛していたら、多分この観察力は身に付いていない。

これは26歳まで童貞だった男の負け惜しみかもしれない。
結婚とか何にも考えず「今が楽しければいい!」と頭空っぽで女の子と楽しい恋愛出来なかったから
そんな自分を慰める為、精神を安定させる為に
「観察力が身についた!」と言い訳してるかもしれない。

でも、もう32年間この今の状態、今の価値観で生きてきたから、これはこれで良いかポジティブに考えてる。

拗らせ、悶々が後の人生にどう影響するかなんて
誰にも分からないけど、僕は「26歳まで童貞だった事」を肯定して生きていこうと思います。

あっでも、もしイケメンになって20代前半に戻れるなら、神様の全身を舐め尽くすのでやり直したい…

かも?


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