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第四章 1992年 第1回ヤマザキナビスコカップ

トヨタ自動車サッカー部は、1991年コニカカップ優勝という金字塔?を打ち立てましたが、JSL最後のシーズンとなる1991年-1992年は1992年3月29日に1部最下位というトホホな結果にて終了

4月、5月はトヨタ自動車サッカー部が静岡県裾野市を本拠地としていたので、名古屋グランパスエイトの新たなホームタウンとなる愛知県への引っ越し、拠点づくりなどであっという間に時間が過ぎていきました

1992年5月に新生名古屋グランパスエイトとして意気揚々とスタートしました

何回かの盛大なお披露目パーティなどなど

パーティで懇談させて頂いた、普通は会えないようなトヨタ関係の偉い方々とのお話から

トヨタ自動車ってスッゴイ会社なんだ
なんか会社、というより“一つの国”?

と、スケールの大きさを痛感させられました

そして6月~7月にかけてスウェーデンで開催され、デンマークの優勝で終わったUEFA EURO‘92を観戦しながらドイツ、スウェーデン、デンマーク、オランダなどを回りながら約1ヵ月の贅沢なキャンプを行いました

ほぼ、観戦ツアー(笑)

1990年イタリアワールドカップを目指していた日本代表のヨーロッパ遠征に比べ、スタッフの数、ホテルのレベル、などなど飛躍的に改善されていました!!

プール付きの豪華リゾートホテル

たった2年しかたっていないのに・・・
プロってスッゲー!!
代表時代には皆無だった、“この環境ならもう少し遠征を延長してもいいかな?”という思い(笑)
今思えば、まさにJリーグバブル(笑)

 
帰国後は福岡で開催されたメイヤーズカップでアントラーズを破り優勝という幸先の良いスタートをきり
7月26日 vsアントラーズ 2対0 @福岡 メイヤーズカップ 優勝

メイヤーズカップ優勝



とりあえず初タイトル!?(笑)

その勢いのままブラジルの強豪コリンチャンスとの2連戦に挑み
8月1日vsコリンチャンス 1対1 @瑞穂公園陸上競技場
8月5日vsコリンチャンス 1対5 @岐阜メモリアルセンター長良川競技場

試合中 選手の対応する当時の私


当時はフットワークも軽く、選手を飛び越えて
いち早く駆けつけていました 若かったですね!!(笑)

地球の裏側からやって来た、さすがのコリンチャンスも時差ボケには勝てず初戦は引き分けることができましたが・・・

2戦目はガツンと世界の壁を実感させられました・・・
 

1993年に開幕を控えたJリーグの前哨戦としてオリジナル10による9月5日~10月11日に開催されたJリーグカップ(第1回ヤマザキナビスコカップ) は、準決勝で清水エスパルスに敗れはしたものの3位という幸先の良い結果でしたが・・・

12月5日天皇杯 vsフジタ 1対3
呆気ない一回戦敗

なんか尻つぼみじゃ・・・
来年のJリーグ開幕大丈夫??

という不安と期待が入り混じった感じで1992年は終わりました

次回は、いよいよJリーグ開幕です!!

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