第三章1989年後半~1991年 トレーナー活動期第十二回 日本代表チーム帯同 1989年 親善試合4試合
7月30日に帰国したのもつかの間、8月4日、7日、10日、13日に中二日で親善試合が4試合組まれていました
「時差ボケだ・・・」
「強化??」
「何のため??」
当時の日本代表サッカーチームは強化目的だけではなく、“親善大使”のようなミッションも重要な役割だった気がします
例えば
1988年6月から7月のドイツ遠征中にも予定になかったトルコに渡りオリンピックチームと親善試合をしました
この時はトルコ、イスタンブールにあるボスポラス海峡に架かる日本のODAによる“第二ボスポラス大橋”の開通記念試合でした
本来は工事に携わった日本鋼管サッカーチームが対戦する予定でしたが、都合が悪くなりその時にトルコの近くにいた代表チームに代役が回ってきた次第です・・・
また
1989年1月の中東遠征は、日本・イラン外交関係樹立70周年を記念しての遠征でした
今回の4試合にもそれぞれ
8月4日vsエバートン テレビ東京開局25周年記念 名古屋大会
8月7日vsマンチェスター・ユナイデッド テレビ東京開局25周年記念 東京大会 シャープワールドサッカー
8月10日vsボカ・ジュニアーズ 沖縄県人アルゼンチン移住80周年記念
8月13日vsボカ・ジュニアーズ 横浜博覧会開催記念
などの冠がついてました
代表の強化を目的の試合だと思いますが、名古屋⇒東京⇒沖縄⇒横浜と全国を中二日の日程で時差ボケが抜けきらないまま結構な国内移動をしながら嵐のような10日間でした
「俺たちは何??」
「これも日本代表のミッションだから!」
中でも2試合目のマンチェスター・ユナイデッド戦は神宮球場で開催され、神宮球場は札幌ドームのように客席が移動しないので、野球場の外野に無理やりサッカーコートをねじ込んだような感じで、違和感でしかありませんでした・・・
「距離感が分からない・・」
「まっすぐ走りにくい・・」
「コーナーキックが蹴りにくい」
「野球のラインとサッカーのラインが混ざって分かりにくい・・・」
などなど選手からは不評しか出てきませんでした
マンチェスター・ユナイテッドの選手たちも同じか、それ以上に違和感でしかなかったのではないでしょうか・・・
対戦相手があのマンチェスター・ユナイテッドだし野球場でのサッカーが物珍らしかったのか約48000人の観衆が集まりました
8月4日 エバートン 1‐3 ワールドサッカー’89 東京12チャン
ネル開局25周年記念
8月7日 マンチェスター・ユナイデッド 0‐1 シャープワールドサッカー‘89 東京12チャンネル開局25周年記念
http://www.jingu-stadium.com/about_kyujo/history/history_06.htmlより引用
8月10日 ボカ・ジュニアーズ 0‐0 沖縄県人移住80周年記念
8月13日 ボカ・ジュニアース 0‐1 横浜博覧会開催記念
嵐のような10日間を0勝1分け2敗で終了し1989年は終了しました
次回は1990年に行われた第一回ダイナスティカップと第11回アジア競技大会(北京)です