
新しいことに気づくセレンディピティ
セレンディピティという言葉を聞いたことがあるでしょうか。何か予想外のものを発見したり,新たな出会いが起きることを指す言葉です。
セレンディップの王子たち
もともとこの言葉は,『セレンディップの三人の王子たち』というおとぎ話から来ています。スリランカ(セイロン島)のお話で,王子たちが機転を利かせて活躍する話です。
セレンディピティという言葉自体,セイロンのことを指しています。
4つの発見の形式
とある本を読んでいたら,セレンディピティには4つの発見のしかたがあるということが書かれていました。今回はこの発見の仕方を見てみましょう。
読んだ本は,『不定性からみた科学―開かれた研究・組織・社会のために―』です。
探索していなかったものを発見
何かを探しているときに,まったく別のことを発見することがあります。そのものの答えじゃなくて,全然違うことが学ばれるという経験です。大発見ではなくても,この報告に当てはまる発見はあるのではないでしょうか。
どんな経験であっても,それなりに何かしら学ぶところがあるというのは,これに近いように思います。
本の中では,次の例が挙げられていました。
1896年,ドイツの醗酵学者エドゥアルト・ブフナーは,バクテリアからタンパク質を抽出しようとしたとき,細胞を含まない酵母抽出物がショ糖をアルコールと二酸化炭素に転換するのを発見した。これによって醗酵は生きた酵母を必要としないことがわかり,酵素学の発展へとつながった。
探索していたとしても,予期しない方向から発見
つぎのパターンです。解決策を探していて,ふとしたときに別のところから解決のヒントがもたらされるという発見です。研究でもこれに近いケースはありそうです。
本の中では,ゴム製品実用化の例が挙げられていました。
米国の発明家チャールズ・グッドイヤーは,熱安定性のあるゴムを開発しようと10年近く苦戦を続け,1839年,硫黄を混ぜた生ゴムが熱で固くなることを発見した。一説には,グッドイヤーが,硫黄の入った薬品をこぼしたゴム靴をはいたまま研究室のストーブの前で居眠りしたためとも言われている。
何も探索していないか,研究すらしていなかったところに現れる発見
その発見したものを探してもいなかったのに,そこに何かあることを発見するというパターンがこれです。私のイメージの中では,セレンディピティという言葉に近い感じがするケースです。
本の中では,サッカリンの発見が挙げられています。研究していた内容とはまったく違うところで発見されたという例ですね。
1878年,米国でコールタールの研究をしていたコンスタンチン・ファールバーグは帰宅後,夕食のパンをとった手が甘いことに気がついた。彼は研究室に走って戻り,作業代にあるすべてのビーカーや薬瓶,皿の味を見て,砂糖以上の甘さを持つ化合物を発見した。これはサッカリンと名づけられ,後に人工甘味料として商業化された。
問題も解決策も何もないところから,いきなり両方現れる発見
何かが発見されているのですが,何に使ったらいいのかがわからない状態があります。そして,ふとしたときにそれが何かに使えるということが結びついていくパターンといえるでしょうか。これも,まさにセレンディピティという感じです。
本の中では,自動車のフロントガラスの例が挙げられていました。
1903年,フランスの芸術家・化学者のエドゥアール・ベネディクトゥスは実験室でフラスコを落としたが,ガラスは粉々にならず,原形をとどめていた。これは器具を密閉するために使われたコロジオン薄膜によるものと考えた彼は,フロントガラスの飛散による自動車事故の深刻化を数日後にニュースで知ると,すぐに実験を始め,二層の合わせガラスによる安全ガラスを開発した。
成功があるから成功になる
これらの例は,成功したからセレンディピティになっている,という後づけの理論になっている点も要注意です。創造性について考えるときもそうなのですが,思いついたことや発見されたことが社会の役に立っていくと,「創造的だ」と言われるのですよね。
でも,その発見自体は,社会の役に立つ前からそこにあるかもしれません。そのあたりに「役に立つか立たないかはわからない研究」の価値があるのかな,と思ったりしました。
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