
愛知県のイントネーション
2019年に入って,とあるところで3時間ほどプレゼンをする機会があって,内容も多かったのでほとんどノンストップで話し続けました。終わって会話をしていたときに一人の方から,「先生は愛知県ご出身ですか?」と言われました。
子どもたちは東京のイントネーションに慣れてしまっていますが,自分の発声を修正するのはとても難しくて,自分の子どもたちから「なまっている」と言われることがあります。愛知県にいればそんなことは言われないのに……。先日会った関西出身の友人は,東京に来て何十年も経つのに直しちゃいないですよ,とも思うのですけどね。
この話題は以前も書いたことがあるのですが,もう一度。
アクセント
何がいちばん難しいかというと,やっぱりアクセントです。いくら気をつけても,明らかに愛知県イントネーションで発音をする単語が出てきてしまうのは,もう直しようがありません。
考え始めるともうどうしようもなくて,ますますおかしくなるのでもう考えないようにしています(あきらめた,とも言います)。
「ふく」の発声
先日も妻(愛知県外出身)と「拭く」と「吹く」と「服」のイントネーションの話をしていました。
私の場合は,
◎拭く → [ふ]く
◎吹く → [ふ]く
◎服 → [ふ]く
と,ぜんぶ最初の「ふ」にアクセントがあって,同じになります……
え?違うのですか?いやー,やっぱり違うのですかそうですか。
アクセント辞典
オンラインのアクセント辞典を見ながら自分の発音を確認していたのですが,ところどころで「違うな〜」と思うことが出てきます。全部違っていればそれはそれであきらめもつくのですが,ときどき違うのですよね。
「はたらく」は「は[た]らく」ではなく「はた[ら]く」ですし,「バス停」は「ば[す]てい」ではなく「ばす[て]い」です。
アクセント辞典を見て違和感がないアクセントもいっぱいあるのですが,ときどき違うから,そこがますます目立つのかもしれません。
「みえる」の使い方
これも先日会話の中で話題になったのですが,愛知県で頻発する表現が「みえる」です。
たとえば「居る」の代わりに使います。
「先生は教室に居られますか?」
これが「先生は教室にみえますか?」になります。
また,「来る」の代わりにも使います。
「先生はもうすぐ教室に来られますか?」
未来を表す存在も「先生はもうすぐ教室にみえますか?」となります。
行動につけて尊敬語のような形でも使えます。
「先生は本を読まれている」
動詞につけて「先生は本を読んでみえる」となります。
だいたいこれは丁寧な言葉として使われるのですが,たぶん京都あたりの「〜してはる」と同じような使い方ではないでしょうか。目上の人が存在していたり,もうすぐ来たり,何かをしている様子があって,それを恐れ多くも「目にしてしまう」のですからその様子が「見える」と表現するのではないかと思うのですが,本当かどうかはよくわかりません。
それから,自分はこれをあまり使わないのですよね。実家でも使うのは使うのですが,そこまで頻発するわけでもないような気がしてきました。使うのは愛知県の中でも三河地方のほうが多いように思いました……大学時代の会話を思い出すと。
些細な違い
子どもたちが「なまってる」と言うのは,とても些細な違いを取り上げて言っているように思います。言葉そのものは十分に通じるのですが,ほんの少しの言い回しまで同じかどうかを認識できるというのも興味深いものです。
これは日本だけではなくて,どの言語でもあることだと思いますが,我々は言い回しやイントネーションの違いにとても敏感にできていて,そういったことでも簡単に「内と外」「仲間とよそ者」にわけることにつながるものだとあらためて思います。
以前,鹿児島県に旅行したとき,昔は言葉の違いでよそ者を見分けたという話を耳にしたことがあります。きっと,歴史的に,些細なことばの言い回しはそういう区別に利用されてきたのではないかということを想像させます。
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