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そば打ち体験記
初めてそば打ちというものを体験したので記録しておく。
風の噂、地元情報でそば打ちができるところがあるとは聞いていたものの、自らその場所に身を投じる気はなかった。しかし、地縁社会が色濃く残るこの地域で諸先輩方に誘われたことを断るのは如何なものかと思い足を運ぶことにした。
「夜にやるから、まぁ来なさい。」言われるまま仕事終わりに公民館へ。お母様方の華麗なる手さばきとトークに酔いしれようと期待していたが、驚いた。そば打ち作業に来たのは男性陣ばかりだった。
「このそば粉、自分らで栽培したんだ。小麦も地元のやつだ。量は少ないがこの辺でも採れるんだよ。」自慢げに割烹着の中年男性は言う。どこか誇らしげで、素直にカッコよかった。見よう見まねでやってみたが、なかなか楽しいものだった。我ながらうまくできたと思う。
この地域では地元の歴史文化を残そうと有志の男性陣が任意団体を立ち上げ、地域企画を実施運営していたのだった。地域に資源は沢山ある。ただ、誰もPRしてこなかった。皆、小さい頃から身近にありすぎて「それ」が貴重なものであること、財産であることを認識していなかったのだ。彼らはそれに気付き、警鐘を鳴らしてこうした活動をしてきた。しかし、いかんせん団体のメンバーが高齢化し活動が鈍化、メディアの利用もほとんどできていないのが現状である。情報発信ができていないことは、退歩に通じる。
できたそばは、翌日の地域の新年会で振る舞われた。終始、場は和やかで一見良い場であるように見えた。しかし私は違和感を感じていた。なぜなら子供や母親は参加しているが、そこに父親たちの姿はなかったからだ。
”世代間交流”という言葉がある。別の世代と交流し、自分の生活に反映・伝承していくことであると私は捉えているが、この場では”一つ飛ばして世代間交流”しかできていないと感じた。
子がモデル・見本とするのは親である。親ではない祖父母の世代の言葉は、なんというか、うまく言えないが”遠い”のだ。その教えをどう取り扱っていいかわからないまま、単語として聞き流してしまっては伝承されない。
有志の男性陣が、なぜ地元の歴史文化を残そうと考えたのか。目標を立てるための大元となった目的を探ってみた。するとそこには、子供達に地元を好きになってもらいたい、この地で生活を営んで欲しい、という切なる願いがあった。少子高齢化、人口減少、地方で当たり前となっている問題に対して一石を投じたい思いで活動を始めた彼らの思いは今、風前の灯火となっているように見える。
言葉に出せないまま、出されたそばをいただく。素朴な風味と甘めの出汁が沁みた。
私は移住者だ。何ができるのだろう。
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