万葉短編集その③ー竜殺し、100人の騎士ー
「じじぃ!もう一度ぬかしてみろ」
まるで戦場に立っているかのような喧騒の店内。
顔を真っ赤にした男たちが酒樽を互いにぶつけ合っていた。
ある者は愛おしそうに酒瓶を抱えてテーブルに突っ伏している。
ぴくとりともしない。
またある者は、きらびやかなドレスを身にまとった女を抱き寄せていた。
彼らは人目もはばからず接吻に興じていた。
「聞こえなかったのか。若いのに耳が遠いんだな。早く失せろと言ったのだ。俺の気が変わらないうちにな」
髪の毛も髭も真っ白な老人が店内の一番奥の席に腰かけていた。
目の前の若者に向ってあしらうような仕草を見せている。
老人と言っても白髪や深く刻まれたシワに反して身体は大柄だった。
彼は絢爛豪華な鎧を身に着けていた。
一般的な鎧ですらかなりの重量があるのだ。
その上、老人の鎧には金と鋼で出来た彫刻が施されていた。
並の男性では身につけて自由に動くことすらできないだろう。
しかし老人はさほどその重量を気にしていない様子だった。
酒を呷りながら隣に座る仲間の男に「なあ?」と気さくに語りかけていた。
「ああ、全くだ。団長が怒ったらお前なんか二発と耐えられないぞ」
「うるせえよ。ハッタリは要らねぇんだ。俺はお前の正体を知っているからな、じじい」
仲間の男はすっと立ち上がった。
彼も老人に負けず劣らず巨大である。
頬にある大きな古傷が特徴的だ。
思わず若者もたじろいで後退してしまった。
それほどの威圧感があるのだ。
「正体だと。一体何を知ってるって言うんだい、山猿くん」
「誰が山猿だてめぇ。俺が山猿ならてめぇらは詐欺ゴリラだな、詐欺ゴリラ。じじぃは"龍を殺した100人の騎士"だとか"生ける災害"なんて呼ばれてやがるが…。」
「やがるが……。なんだってんだ?」
「実際はその名声を利用して酒をタダ飲みしてるただの老害だろうが。そして、てめえはその老害の腰巾着だ。大体からして百人もいりゃあ、誰だって龍の一匹や二匹くらいぶっ殺せるつーの。どうせ百人で銃を持って、遠くから射ころしたんだろう」
若者は驚くほど大声で、そして饒舌に啖呵をきった。
その声の大きさは騒がしい酒場の店内でも十分に響いた。
気がついた何人かの客が彼らの方に向いてヒソヒソと会話を始めたのだ。
蔑称を与えられて腸が煮えくり返った老人と仲間の男が、怒って若者に襲いかかるのではないか、と予想したのだろう。
客たちはならず者ばかりなのでそういうことには鼻が効く。
ひっそりとコインをテーブルの真ん中に置いていた。
そして何か相談をしている様子。
どちらが勝つか賭け事をしているのだ。
「なんだ、そういうことか」
意外にも仲間の男は冷たく若者をあしらった。
小馬鹿にしたような声でガハハと笑った。
「確かに、龍殺しをネタに酒を飲んでることは違いない」
老人が言った。
仲間の男は思わず失笑した。
「み…認めるのかよ」
「あぁ、認めるさ。だが一つだけ名誉に誓って釈明させてくれ」
「はあ?」
「俺が……。俺たちが龍を殺したのは、富や名声のためなんかじゃあない。己の力を試したかったんだ。鋼の鱗に覆われた火を吹くトカゲ相手に、ちっぽけな人間がどこまで出来るのか、ってな。まあ、俺たちなりの騎士道ってやつだ」
ふふんと得意げに鼻を鳴らした。
酔った勢いで言った台詞なのか冗談なのか、聞いている者たちには判断がつかない。
何とも言えない空気がその場に流れた。
「き……騎士道だぁ…!?じゃあ、そのご大層な騎士道精神は一体どこに行ったと言うんだい」
若者は食い下がった。
しかし老人は相変わらずの態度。
話がどうにも噛み合っていないようだ。
仲間の男もさすがにため息をつく。
やれやれ。
見かねて横から口を出した。
「団長、答えになってないぜ。こういうことはちゃんと教えてやらなきゃダメだ」
「ぬ、どういうことだ?」
「だからよ。ドラゴンを倒したら、酒が向こうから勝手に歩いて来るようになった、ってな」
「ははっ!!そりゃあ、違いねぇ!」
うんうんと頷く老人。
悪びれた様子は一切ない。
しかしそれは周りの客をも苛つかせることになった。
先ほどまで賭け事に盛り上がっていた筈のならず者たちは、コインを懐にしまい込んだ。
そして代わりにそれぞれの得物を胸元から引き抜く。
賭け事をしている場合ではない。
まさに一発触発の雰囲気だった。
「まあ…」
老人はため息でも混じったように言い捨てた。
「そうは言っても、お前は龍殺しに参加していないがな。そこのお猿さんが言う通り。それこそ俺の腰巾着だ」
「おいおいっ!十年以上もあんたの元で働いてる忠臣に向ってそれは酷いぜ団長…」
「不服か?」
「ああ、不服だね。そりゃあ、腰巾着には違わねぇんだが……よ」
再びどっと下品な大笑いが起こった。
お前らなど眼中にない、と言ったような内輪での笑い。
聞いている者にとってそれは心地の良いものではないだろう。
神経を逆なでし我慢という堰を破壊するには十分に不快な行為だった。
体格差への恐れ。
龍を殺したという偉業を心のどこかで否定しきれない現実。
そんなものは怒りで一瞬のうちに吹っ飛んでしまった。
「いい加減にしろよっ!」
ついに若者はテーブルを蹴り上げた。
木製のテーブルがまるで子どもの玩具のように跳ね上がる。
そして天井にぶつかって壊れた。
大きな音がたち、店内にいた者の視線が一斉に若者に集められた。
しかし既に若者はそこにいなかった。
一瞬のうちに飛翔し、老人めがけて飛び蹴りを放ったのだ。
「やれやれ」
老人は意外にもナッツ片手に一部始終を眺めているだけだった。
焦った様子はない。
若者は蹴りの直撃を確信した。
相手が油断している今なら当たると。
体格差があるとはいえ、顎に正確に命中させれば意識は一瞬のうちに霧散するだろう。
勝利を確信した。
「惜しかったな…小僧」
その蹴りが老人に的中することはなかった。
蹴りを仲間の男が空中で掴んで阻止したのだ。
「軽い、軽い。ちゃんと飯を食っているのかい山猿くん」
「なっ、離せ!」
若者は掴まれながらも尚信じられない身体能力で、掴まれた足を軸として空中で横回転した。
反対側の足を斧のように振りかざす。
狙いは頭部。
当たればいくら屈強な男とはいえ失神は免れない威力だろう。
しかしこの一撃も仲間の男はもう一方の片手で防いだ。
すかさず掴んでいた足を離し、腰を落とす。
そしてひと呼吸。
鳩尾めがけて真っ直ぐに突きを放った。
「ごはぁっっ」
男の大きな拳が若者の胴体にめり込む。
殴られた衝撃で寄った臓器が、背中を膨らませてしまうほどの威力だ。
肋骨が一瞬で粉砕し内臓が破裂する。
若者は血反吐を撒き散らしながら向かいに吹き飛んで衝突した。
吹き飛んだ先にあったカウンターは若者の体重と衝撃に耐えきれず崩壊した。
「やりすぎだ、バドゥ」
「がはははは。すまねぇ団長。山猿の野郎があまりに軽かったもんでな。ちと、やりすぎたかも知れんわ」
仲間の男ーーバドゥと呼ばれたその男は言葉と反して悪びれた様子は勿論ない。
大股で闊歩し若者の傍らに再び立ったのだ。
苦痛に顔を歪めた若者はひゅーひゅーという奇妙な呼吸をしていた。
辛うじて生きているといった状態で、身体へのダメージは見るからに甚大だった。
胸部から腹部にかけてが完全に陥没していた。
恐らく呼吸の奇妙な音は、潰れた肺から発生した音だろう。
「山猿くんよお、お前は百人いれば誰でも龍を殺せるって言ったよな」
「あっ…が……が?」
若者はもう声にもならない音で返事をした。
「だけどよ。俺一人に勝てないお前らみたいな奴が何人いたって龍に勝てるわけないとは思わねえか?俺をバカにするのは構わねえが、龍殺しの偉業をバカにする奴は放っておけないねぇ」
バドゥは言い終わるとぐったりと横たわる若者の首を掴んだ。
まるでホウキでも持ち上げるかのように軽々と持ち上げたのだ。
丸太を思わせる太い腕をミミズのような血管が這い回っている。
なるほど。
この腕で殴られたのならばこれだけの身体の損傷も不思議ではない。
店内の客たちは急に背筋が凍りつく感覚に襲われた。
「良いか、お前ら全員覚えておけ」
バドゥが一瞥する。
すると先程まで武器を構えていたならず者たちは慌ててそれらを隠した。
そして様子を満足そうに眺めた後に続けた。
「龍を殺すってのはな。台風とか地震をなぎ倒すようなものなんだぜ。それをたかだか百人でやり遂げた団長たちも、怪物や天才と呼ばれる騎士ばかりだったんだ。俺や、ましてやお前らなんかでは迫撃砲を使ったって勝てやしない。そんな団長が手を出さなかっただけ、ありがたいと思え!!店ごとなくなっていたところだ」
若者の耳にバドゥの言葉は届いてはいないだろう。
「龍殺しを倒せば自分も龍殺しになれるのではないか」と挑んでくるのは何も彼だけではなかった。
その誰もが龍殺しの圧倒的な武力を目撃し、後悔することになる。
「龍殺しは災害だあぁ!!この店の中に一度でも災害と闘ったことがある奴はいるのかっ!!いないだろうな!!災害は力でどうにかなるものではない!!お前らにできることはお布施をして、神に祈るくらいだろうが、あぁ!?」
バドゥが今日一番の大声を張り上げた。
空気をビリビリと震わせる威圧が込められた一言。
それは最早一種の咆哮である。
気迫に当てられた者は心が折れてしまった。
財布をテーブルに投げ捨てると一目散に酒場から逃げ出した。
あまりの恐怖に失禁し、足が立たなくなってしまった者もいる。
気絶してしまった者もいる。
しばらく経つとその者たちもなんとか店内から逃げ出すことができた。
結局酒場には老人たちと酒場の店主だけが残ることになった。
「なあ、団長。今度は酒だけじゃなくて財布もあっちから歩いてきたぞ」
「馬鹿野郎っ。そんなことばっかりしてるから、嫁の一人も見つからねぇんだ」
「がはは、それも違いねぇ」
その日、酒場の明かりが落ちることはなかった。
一晩で酒樽を三つ飲み干した。
牛一頭分のつまみを貪った。
そして十数人の娼婦を買った。
店内には常に彼女らの絶叫のような声が響き渡っていた、と通りがかりの者は言った。
朝になってやっと満足した二人はそれぞれの住処に帰った。
その様子を見送った店主。
憔悴しきった顔で、これが「精魂尽きる」ということかと嘆いたそうだ。
生ける災害である龍を倒した者も、災害に値するほどの力を持っている。
彼らはときに人智を超えた被害をもたらすことになる。
この国の人々は畏怖を込めてそれらの出来事を「龍災」と呼んだ。
この度酒場で起きた一連の騒動も、後に龍災の一つとして語られるだろう。
そして今回の国中に広く伝わり、人々は改めて龍殺しの恐ろしさを知ることになるのだーー。
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