本郷菊坂「にごりえ」の視線(91回目)
ぼくは「たけくらべ・にごりえ」を高校生の時分に読んだきりだ。
当時はおもしろいとも思わず、なにがこれほど評価を得ているのかも理解できず、そのまま樋口一葉はぼくの中で止まった。
「たけくらべ」はほとんどあらすじすら記憶にない。
だが「にごりえ」はどういう次第であったか、近年読む機会があった。
そして高校生時分には踏み入ることができなかった「お力」の生き様、覚悟の据わり、そして遣る瀬ない、寄る辺ない先行きへの不安が、まるで身につまされるようにありありと感じるのだった。
それまでの樋口一葉観を改めた。
改めざるを得なかった。
一葉は町方奉行に仕えた武士の家に生まれた。
父親は明治になって士族の身分になると東京府や警視庁に勤め裕福な暮らしをしていた。
幼い一葉の文才を認めると、当時の女性観にして珍しく机を買い与え和歌を習わせたりもしている。
しかし事業の失敗、そして死去によって生活は暗転、一葉は17歳にして一家を背負うことになる。
紆余曲折ののち、母親と妹とともに本郷菊坂の借家に移り、針仕事や洗い張りなどで生計を立てるが、それだけでは足りるはずもなく時々質屋に通うこともあったという。
一葉らが使っていた路地の井戸はポンプ式に姿を変えたがそのまま現地に残っている。
その後、生活苦は続くが本郷・丸山福山町に転居して和歌を習う塾の助教料を得るようになる。
明治28年になると「文藝倶楽部」に「たけくらべ」を寄稿、「にごりえ」「十三夜」を発表している。
奇跡の14ヶ月と呼ばれる期間だ。
この頃になると島崎藤村らも樋口宅を訪れるようになり文学サロンの様相であったらしい。
生活は相変わらず苦しかったが、一葉は彼らを歓迎していたという。
翌年には「たけくらべ」が一括掲載されると、森鴎外、幸田露伴らからも高く評価される。
だが、その頃には病魔(結核)が進行し、医師でもあった森鴎外も専門医を往診に向かわせたが恢復は難しい状況だったという。
享年24歳。
近辺には古い家が多い。
戦災からも奇跡的に焼け残ったと聞く。
金田一京助・春彦の旧居跡もある。
丸山福山町は歓楽街であった。
にごりえの主人公である「お力」は人気の酌婦であった。
若いころに水商売の道に入り、若さと美貌で売れっ子になっている。若旦那の顧客がついて、やがて結婚して足を洗うことを夢見ている。
顧客に日雇い人夫の男がいる。もともと布団屋を営んでいて金回りもよかったのだが、お力の魅力に散財し、妻が家計を支えている有様だった。
そうなるとお力も人夫を袖にし始めるが、それを逆恨みするようになる。
なぜこんな話を一葉が書く気になったのだろう。
聞けば一葉が住まったのは銘酒屋の隣だったという。
銘酒屋というのは私娼館である。
闇の商売であって1階では酒を提供する飲み屋だが、2階では別の意味で客をとる。
一度酌婦が一葉に再訪を客に促す手紙の代筆を頼みに来たことがあったらしい。
それ以来付き合いが始まり、自分の境遇と彼女らの境遇には紙一枚の境すらないと感じるようになったという。
良家の子女であった自分をかなぐり捨て、酌婦の目線で歓楽街を描いた新境地であったのだ。