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クレーム(165回目)
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過去投稿から。
「弊社で調査した結果でございます」
ぼくは正座をしたまま、テーブルの向こう側にいるお客に報告書を提出した。
お客とは我が社の製品を使用した結果、事故が起き、その原因は我が社の製品にあるのではないか、というユーザーで、製造責任者であるメーカーのぼくと販売した店舗の責任者で、その対応にお宅にお邪魔していた。
PL法が施行されたばかりの頃で、その製造者責任という言葉だけが一人歩きをしているような時代だった。
無論、ぼくらの製品に問題などなく、誤った使用方法が引き起こした事故である。
だが厄介なのは、当事者は未成年の娘で、クレームを申し出たのは、その保護者である両親だった。
話は平行線のままだった。
本人に確認したが、娘が間違った使い方をしたとは思えない。
その一点張りで、譲る気配がまったくない。
かといって、こちらもその点で譲るわけにはいかない。
認める理由もないし、それを認めてしまったら大リコールになってしまう。
製品自体にも、他の場所で同様に販売されている製品と差異はないと判断しています
「そんなのは、そっち側で調べた結果だろう」
まあそう言うよなァと思った。
結局結論は出ないまま、お宅を辞し、ぼくらは帰路についた。
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「ありがとうございました」
あ、はい
同席した販売店の担当者が口を開いた。
話し合いの間、挨拶以外ほとんど口を開かなかったので、急に声をかけられて驚いてしまった。
というか、今まで仕事で何度か顔を合わせてはいるが、必要なこと以外に喋るのを聞いたことがなかった。
担当者は女性だ。
販売店の店長だが、当時はまだ業界では女性店長は珍しかった。
年齢は30歳そこそこだろうか。顔立ちは美人だと言っても間違いはないが、口数の少なさからくる印象なのか、どうしても暗いイメージが拭えない。
「どう対応していいものか、まったく分からなくて」
仕方ないですよ。どこの親だって、自分の子どもが悪いなんて思いませんし、思ってても口には出しませんよ
「でも、さすがですよね。毅然と大切なラインはやんわりと守って」
ただ呆然としていたわけではなさそうだ。
話の流れはちゃんと聞いていたのだ。
「お腹空きませんか?お礼にご飯ごちそうさせて下さい」
あ、ありがとうございます。でもお気遣いなく。これもぼくらの仕事ですから
「いえ、上司からも言われています。ご遠慮なさらずに」
そうですか。じゃ遠慮なく
ぼくらは帰路途中にあった居酒屋に入った。
少し酒の入った彼女は饒舌だった。
「何でもかんでも人のせいにして。自分の子どもの教育さえちゃんとできてないのに」
彼女は今日のクレーム相手に憤慨していたのだ。
じゃ、話し合いの間はぐっと抑えていたんですね
「そうですよ。これだけ大人を動かせておいて、言いたいこと言って、結果自分に非があってもひと言も謝らない。そんなのおかしいですよ」
おおかたの仕事なんてそういうものですよ
「もう途中から足は痺れてくるし、テーブルひっくり返すタイミングをずっと計っていたんです」
ちょっと呂律が怪しくなってきた。
まずいぞ。
そう思った時には遅かった。
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そろそろ帰りませんか
「まだ大丈夫ですって」
いや、お家でも心配してるでしょう
「大丈夫ですって」
頑として動こうとしない。
自分で大丈夫という酔っぱらいが大丈夫だった試しがない。
1時間後、トイレから青い顔で戻ってきた彼女をタクシーに押し込んで、ようやく電車に乗った。
どっと疲れが出る。
最後まで堪え続けたのは、結局ぼくだけか。