老人のつぶやき(172回目)
養女になることは承知していたが、出発がそんなに急だとは知らなかった。
学校へ行き、明日朝出発するので今日でお別れです、と言った。中学3年の1学期のこと。
その日の放課後、教室で、「マイオールドケンタッキーホーム」のレコードをくり返しくり返し掛けて呉れた男子がいて、ただ黙ってそれを聞いた。
彼はピッチャーで、強かった。隣町の中学で試合があった時など、砂利道を歩いて応援に行き、声をからして応援したものだ。
時々ハガキを貰ったが、きみがいなくなって寂しいとあったときは、養母がハガキのラブレターとは珍しい、と笑った。
いつの間にか便りは遠のいたが、養母が隠していたとは後まで知らなかった。
「失ひて久しき人は世にありや 風の便りと言ふも絶えたり」というのは、ずいぶん後になってからの私の歌。
夢では、思いもかけず再会していた。長い時間、ゆっくり話し続け、心が満たされて、温かいものに包まれたような幸福感。
花の香りまで流れていた。話の内容は少しも記憶にない。
眼が覚めて。亡くなったんだな。もう遠い所へ行ったというメッセージだったんだろう、と思う。
白いチューリップをありったけ買ってきて壺に差した。
この世で出会ってくれてありがとう。
あのときわたしたちは14歳。もう、67年経った。
(すばる 81歳)