「勝てば官軍」
「勝てば官軍」という言葉がある。
これは江戸時代の狂歌「勝てば官軍 敗ければ賊よ 命惜むな 國のため」から生まれた言葉であって、事の道義などは後からどうとでもなるのであって、官軍、賊軍は時勢でコロコロ変わるものであるという意味がある。
どう理屈を振り回しても、広島・長崎への原爆投下は蛮行であって、ナチスのホロコーストに勝るとも劣らない大虐殺である。
同様に日本の主要都市への空爆も、必ずしも軍需施設に限定されておらず、これも重大な国際法違反である。
しかし「官軍」のやったことは「正義」となる。
これらは前提である。
太平洋戦争において我が国は「賊軍」となった。
何故戦争が起きたか、どうして回避できなかったかは官軍賊軍の関係においてはどうでも良いのだ。
正義などはどこにもない。
この幾度となく先人が繰り返した諍いが、最もグロテスクな姿を晒すのが常に現代である。
親の因果が...ではないが道理の通らない事を無理強いすれば、その皺寄せは一番脆弱な所に現れるのだ。
何も終わっていない。
何も変わっていない。
そこにあるのは無間地獄である。
幾千万の心ならずも亡くなった人達の叫び声である。