この事件以降、軍部に歯向うと殺される、という恐怖感が政府要職に就く者に広まっていく。
陸軍内の皇道派の影響を色濃く受けた青年将校らは「昭和維新・尊皇討奸」のスローガンの下、統制派の圧力に終に蹶起する。
蹶起趣意書では、元老、重臣、軍閥、政党などが国体破壊の元凶で、ロンドン条約と教育総監更迭における統帥権干犯、三月事件の不逞、天皇機関説一派の学匪、共匪、大本教などの陰謀の事例をあげ、
「依然として反省することなく私権自欲に居って維新を阻止しているから、これらの奸賊を誅滅して大義を正し、国体の擁護開顕に肝脳を竭す」
と記されていた。
昭和天皇は一報から「賊軍」として敵意を顕にしている。
この時点でクーデターは成立しないことになり、また『朕ガ最モ信頼セル老臣ヲ悉ク倒スハ、真綿ニテ朕ガ首ヲ締ムルニ等シキ行為ナリ』『朕自ラ近衛師団ヲ率ヰテ、此レガ鎮定ニ当タラン』と激昂したと伝えられている。
政とは清濁併せ呑む事とは誰の言葉だったか。
被災地の窮状を目の当たりにしても、相変わらず議場は政治資金の何たらである。
こういっては何だが、ほとんどの国民はそんなことに興味がないのではないだろうか。
池波正太郎の「剣客商売」で秋山小兵衛が「政事とは、汚れの中に真実を見出すものさ」と宣う場面がある。
とかく世間は綺麗事だけでは渡れない。
それならば、まことを見出す気概のある者、または見出す才のある者にまつりごとを任せたいというのは世迷言に聞こえるだろうか。