托鉢僧
銀座・和光の辺りでいつも見かけていた托鉢僧がいて、何かの折にお布施をした時に少しお話しをした。
真言宗の僧侶である事、午前は焼き鳥屋でアルバイトをして、それから毎日銀座4丁目で托鉢をしている事。
その程度の事をお話ししただけだったが僧侶からは絶えず白檀のいい香りがして、なにか気持ちが楽になった気がした。
写真は帰り際にさっと振り向いて撮らせてもらったもの。
一昨年の冬だったか、その方が亡くなったというニュースをネットで拾った。
名前を望月崇英さんだというのも、そのニュースではじめて知る。
まさに人生は波瀾万丈、知っていたならもっとお話を聞けば良かった、と後悔する。
写真は撮った瞬間から過去になる。
1/500とかのわずかな過去の一瞬だ。
それはもう二度と繰り返さない。
例えばあなたが何気なく撮った一枚は唯一無二、その日その時、その場であなたの立っていたその場所でしか撮れない一枚なのだ。
風景や人も、もう一度同じ事をやれと言ったところでできるはずもない。
同じ人を真っ白なホリゾントの前に立たせて撮っても、1/500秒で撮られた写真は1/500秒前のものであって、その1/500秒後に撮られた写真は「同じ」写真ではない。
違いはなくても同じではないのだ。
一期一会とはよく言ったもの。
過ぎた時間は、どんな事をしても戻す事は叶わない。
だからこそ、こんな風に残った一枚が愛おしい。
今日ここに行っても、当然な事ながら望月さんはいないし、周りの人や太陽の角度、走る車も違う事だろう。
写真で大切なのは「そこにいる事」だと誰かが言っていた気がする。
これはぼくでなければ撮れなかった、世界でたった一枚の写真。
それは下手とか上手いとかの話ではなく、写真を撮る上で一番大事なことではないか、と思っている。