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東向島から南千住(63回目)

大正道路とされる道。現在はいろは通り

其処はもう玉の井の盛場を斜に貫く繁華な横町の半程なかほどで、ごたごた建て連った商店の間の路地口には「ぬけられます」とか、「安全通路」とか、「京成バス近道」とか、或は「オトメ街」或は「賑本通にぎわいほんどおり」など書いた灯がついている。

静にひろげる傘の下から空と町のさまとを見ながら歩きかけると、いきなり後方うしろから、「檀那、そこまで入れてってよ。」といいさま、傘の下に真白な首を突込んだ女がある。油のにおいで結ったばかりと知られる大きな潰島田つぶしには長目に切った銀糸ぎんしをかけている。

右手に伏見稲荷があったらしい。この細い道が溝になっていたとのこと。暗渠になっている

其家は大正道路からある路地に入り、汚れた幟のぼりの立っている伏見稲荷の前を過ぎ、溝に沿うて、なお奥深く入り込んだ処に在るので、表通のラディオや蓄音機の響も素見客ひやかしの足音に消されてよくは聞えない。

伏見稲荷の前まで来ると、風は路地の奥とはちがって、表通から真向に突き入りいきなりわたくしの髪を吹乱した。

願満稲荷内に荷風が残したという地図が案内とともに掲げてある。詳細に描かれている
同稲荷。

小雨の中、前回よりはゆっくりと濹東綺譚の世界を堪能する。
もっともこの辺りは東京大空襲で壊滅的な被害を受けていて、戦前の面影を残すものはまったくといっていいくらいない。
なんとなくの道筋を辿ってみるだけだ。

東向島を後にして、今度は南千住の回向院へ。

小塚原処刑場の説明板
カール・ゴッチの墓
橋本佐内の墓
吉田松陰の墓

ここは小塚原処刑場に隣接していたらしく、水戸街道沿いにあることから行き倒れや他の処刑場での遺体を供養したという。
日比谷線の工事などでは大量の人骨が見つかったりもしている。

ここには著名人の墓もあり、幕末に活躍した吉田松陰や橋本佐内の墓、またアントニオ猪木が建てたというカール・ゴッチの墓があったりする。
鼠小僧次郎吉の墓もあると聞いたが、どれがそうなのかよく分からなかった。

キレイな夕焼けになった。
明日は晴れるのだろう。

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