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空よ(139回目)

アラーキーだったか。
奥様を亡くされてから、空の写真を撮り続けていたと思う。
空の写真。

空は空。
何かに結びつけて、何かを訴えたり何かを伝えたり。
余計な事を考えたりしたところで結局空は空なワケだから、まあそうだよな、とかになって見向きもしなくなるんだな。
昔、写真繋がりの人と話していた時に「そこにある物を、そこにある様に撮りたい」という話になった。
必要以上にコントラストを上げたり荒らしたりせず、構図とかにも余り拘らず、目に入った物をそのまま写す。
別にそれを意識していたわけではないのだけど、写真に限らず色々な事をシンプルに考える傾向は年々強くなっている気がする。
そこに潜む自我や煩悩はあるのだけど。
写真は相対的な物なので、その対象である主張がなくなればなくなるほど、その写真の存在は絶対的な意義を持ち始める。
と書いた瞬間、ぼくはこれらの写真に主張を持たせ相対化している。
もちろん異論もあるだろうしそれはそれで良いと思う。
これはあくまで自分の写真の話。

空は空。
何かを語ったり何かを暗示させたりしない。
意味なんかなくていい。
それはもう絶対的に相対化された空。

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