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ソーシャルなネットワーク(祝200回目)
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SNSはあちこち手を出しては放置みたいなことが多いのだけど、まあ某ThreadsやXとかたまに眺めていると、なんとも荒れた気分になってきてしまう。
じゃ閉ざされたコミュニティのFBなんかはどうかといえば、こっちももうなんだか気持ち悪い集団に思えてくる。
noteはかつてのブログ的な、良い意味での一方通行な発信だと自認してやっているから、そこからなにか発展させようとか何かを目指そうとかは考えていない。
そういう言い換えると、ある意味では独善的なことが許容されることが、ぼくにとってはインターネットに小石を投げてみる必須条件でもある。
波紋は極めて小さい方がいい。
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Tumblrは実に許容範囲が広い。
ちょっと変わったSNSだろう。
いやネットワーク的ではないからSNSではないのか。
ソーシャルネットワークではなく、本来的なソーシャルメディアっぽい。
資本に大手が介入して、なんやかやと規制も多くなったが、それでも反骨精神が旺盛なTumblrのユーザーはお構いなしに我が道を歩んでいる。
ここはぼくには居心地のいいところだ。
なのでもう10年近く細々とやって楽しんでいる。
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どのサービスにも言えてしまうことだけれど、metaとかyahooとかの大手が関与し始めると、途端につまらなくなってくる。
それはinstagramもそうだ。
小さな集団があれこれアイディアを捻り出して、それに賛同する個人がワイワイやっている方が充実しているし見ていても楽しい。
そこにカネにモノを言わせるような連中が入り込み出すと、言い方はなんだけども「荒れる」のである。
仲良しクラブで楽しい?とか皮肉めいたことを言う人もいるけれど、そんな所で社会性を磨いてどうすると思ってしまう。
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少し前まで、インターネットの世界は自由とニアイコールの世界だった。
個人が個人の責任で楽しいことを見つけていた。
はじめは見向きもしなかった連中が飛びつくようになり、時代の先端だともてはやされるようになってインターネットは「ビジネス」の世界になった。
カネが絡むと欲が芽生え騙し騙されの犯罪も生むようになる。
もっとインターネットは閉ざされた世界でいいんじゃないか。
なんてニフティサーブの頃から遊ばせてもらっているアラカンは思ったりしている。
何でもかんでも明るみに出すことが正しい世の中では無理な話か。
明るみに出すことはよしとして、誰もその後のことを語らないんだけどね。
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写真は休日恒例のご近所散歩シリーズ。
梅があちこちで満開である。
カメラはニコンD60。
レンズはヨンサンハチロク。