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ネオンサインと夜の帳(93回目)

書いたことがあるかもしれない。
いちいち覚えていられないのは、結局その程度のことしか書いていないせいだろう。

今朝ほど小学生のころにマイブームだった早朝自転車ツーリングの話を書いたが、それでまた想起する記憶があった。

ぼくは小学4年のころに自分の部屋を与えられた。
ぼくが住まっていたのは基本的に戦後すぐに建てられた家で、幼稚園くらいのころに大幅な改装をして、いくらか近代化したが、とはいえ昭和40年代の話だから現在の近代化とは意味が違う。
初めに与えられたのは叔母が結婚前に使っていた東側の道路側に面した陽の当たらない4畳半だったが、6年生になる頃に2階の8畳間を与えられた。
もちろん和室である。
古い家によくある急な階段をのぼる2階の部屋は道路側ではなく西側に窓のある部屋で、午後からは陽がさしてくる明るい部屋だった。
ただし西側なので夏は暑く冬は寒い。

窓を開けると右手に堀川と、その向こうの西区辺りの風景を眺められた。
当時はまだ高い建物などなかったから、2階とはいえ眺望はあったのだ。
ぽつぽつと灯る家々の灯りと共にいくつかのネオンサインもある。
覚えているのは「小川屋家具店」ともうひとつ「ONWARD」と描かれた青いネオンサインだった。
大変に映える青で結構離れているにも関わらずはっきりと見てとれた。

いつからか、ぼくはそのネオンのある場所を想像するようになった。
もちろんなにかヒントなどもあるはずもなく、本当にただの想像だ。
青いネオンに照らされているそこは、たぶんトラックが何台か停まっていて、きっと倉庫かなにかだろう。
ネオンを見るのは夜だから、そこはネオン以外に灯りはなく、人影もなかひっそりと静まり返っている。
濃密な夜の青だ。
そんな想像である。
そしてその想像になぜだか心ときめくものを感じていた。

今にして思えば距離にして2キロ3キロの距離だが、小学生だったぼくにはずいぶん遠くに思えていた。
距離的には行けたとしても、まずそちら方面に行く用もなかったし特に土地勘もない場所だったから、実に高校を卒業して自動車の免許をとるまで、その場所の実態を知るよしもなかったのだ。

やがてその時は訪れた。
高校の友達がたまたまそちらに住んでいて遊びに行くことがあったのだ。
実はその前を通るそのときまで、ぼくは自分があの想像した場所にいることに気がつかなかった。
その瞬間どういうわけだか「ここだ!」と思った。
なにがここなのかすら分かっていなかった。
信号待ちの車の中から、ここだと思った方を見ると「ONWARD」の物流倉庫があった。
そしてそこにあったのは、まさに小学生のぼくがかつて想像したそのままの光景が広がっていたのだ。

既視感というのだろうか。
まったくの想像は寸分違わず現実だったのだ。
まるで見てきた記憶のように。
もしかして見たことがあったのだろうか、とも思ったが、車でなければ行きにくい所だったし、だいたい父は免許がなかったから可能性は限りなく低い。
夢の中で飛んで行ったのだろうか。
でも決してオカルトめいた話ではなく、この体験を思い出すとじんわりと暖かい気持ちになれるのである。

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