建築のジェノサイド
少し前のことだけれど、ネットの記事を拾い読みしていた時、Newsweek誌レジス・アルノーという人の「建築のジェノサイド」に気付かない日本、というコラムを読んだ。
元シャネル日本法人の社長であって先頃イオンの社外取締役に就任したリシャール・コラス氏の言葉を引用しつつ、日本の古い街並みが急速に失われつつあることを嘆く記事だ。
記事によればコラス氏は長年鎌倉で暮らしていて、古都に対する思い入れは人並み以上とのこと。
氏は言う。
アルノー氏は続ける。
コラス氏は鎌倉市内に伝統的な日本家屋を建て、そこで暮らしているが、これは本来日本人がするべき事とアルノー氏は述べている。
ここで言っている「伝統的な日本家屋」というのは、例えば江戸時代などの武家屋敷や豪商、豪農の家屋を指しているのではないか。
そんなものを建てられたのは金に糸目をつけない連中が贅の限りを尽くして建てたものだ。
その頃の一般的な日本人が住まった家屋をどのくらい理解しているのだろう。
まさか今更土壁一枚で隔てた六畳一間の借家、長屋住まいをしろというのだろうか(現代も、まあ似たようなものではあるけれど)
文章は、
と締めくくられている。
各論では同意する部分もあるが、普通の人たちが築数百年の木造建築に住み続けるという事が一体どういう事なのか、という見地には立っていないような気がする。
木造の建物は、時間が経てば「腐る」
従って定期的なメンテナンスが必要なのだが、これとて決して安価ではない。一般的な構造の家屋よりも木造の方が高価であるのは、皆さんもよくご存知だろうと思う。
数十年ごとに高価な修繕費を支払わなくてはならないのだ。
行政の援助を受けるにしても、よほど文化的価値がない限りは、その対象にはならないだろうし、逆に指定を受けたことによる規制が一層「暮らしにくく」させてしまう。
日本は地震国であるし津波の恐れもある。同時に火災となれば木造は危険である事この上ないし、今年の夏の猛暑を思えば、隙間だらけで空調の効きにくい構造は、徒に光熱費が上がってしまう。我慢して熱中症になるなんていうのは、まったく本末転倒な話だ。また、こういった建物に対する保険も、一般的な家屋よりも高くなる。
そういう建物に長年住み続けるというのは、普通のサラリーマンの家庭では相当の負担になる。観光客の立場で見れば氏の言う事も分かるが、実際そこに住むとなると問題は山積しているのだ。
通りすがりの人間があれこれ口が出せるような問題ではない。
コラス氏は鎌倉で日本家屋を「建てた」と言うが、高徳院の大仏にはかつて大仏殿があり、それは津波で破壊されたというのをご存知だったのだろうか。
どの辺りに建てられたのかは知る由もないが、そこにかかったコストは一般的なサラリーマンが負担できる金額だったのだろうか。
アルノー氏は文中で、不動産開発で高層マンションを建てるデベロッパーの経営陣を、
と批難しているが、氏が「日本人が建てるべき」という建物が数億円などというのであれば、それはまさに田園調布やタワーマンションに住む人たちと何ら変わる所がないように思う。
とは言え、ぼく自身もこういった現象に「何とかならないものか」と思うクチではある。
ではあるが伝統とは建物を残す事だけはない。
それらを継承していく人たちの暮らしを守る事も伝統を守る事に他ならないし、誰も彼らに不便を強要する事などはできない。
そもそも外国人旅行者のために日本建築があるわけではない。
我々の文化は我々のためにあるのだ。
だからこそ守らなければならないという文法も成り立つ。
要は「事情もわからん他人からああだこうだ言われる筋合いはない」のだ。
この一文が色々な場所で言うべき人が言えてないので、これまた色々な場面で一層面倒な事になっているのが現状のように思えてならない。