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荻外荘と近衞文麿
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人によって評価は変わるが、一般的にはあまり良いようには言われない人である。
こう言っちゃ身も蓋もないが日和見主義というか、あの朝令暮改かげんでは、そう言われてしまっても仕方ないのかも知れない。
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だいたい想像がつくだろうが「近衞」という名字は五摂家のひとつで藤原氏直系の子孫である。
後陽成天皇の男系12世子孫であって、大勢いる皇族方よりも皇室に近い血統らしい。
3度内閣総理大臣に任命され、第一次内閣時に日中戦争が勃発。
役回り的に損なタイミングで総理になっている感はあるが、決断力のなさは否めない。
大政翼賛会の中心人物であり、日独伊三国同盟を締結、国民精神総動員運動を起こし、「挙国一致・尽忠報国・堅忍持久」を国民に呼びかけ、1938年には国家総動員法を制定している。
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私邸であった荻窪の「荻外荘」で1940年に行われた「荻窪会談」は、よく写真で見かける。
左より近衛文麿、松岡洋右、吉田善吾、東條英機。
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綿密に再現されている。
模してモノクロにしてみた。
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戦後、GHQよりA級戦犯として取り調べを受けることになり、その恥辱に耐えかねるとして1945年12月16日、出頭当日の早朝に服毒自殺を遂げた。
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この「荻外荘」は東京帝国大学医科大学教授であった入澤達吉の別邸として昭和2年に建てられ、昭和12年に近衞に譲渡された。
杉並区のHPによれば
昭和35年(1960年)、多くの政治会談の場となった「荻外荘」の玄関棟・客間棟が豊島区に移築され、荻窪に残った部分は、近衞家による小規模な改修が繰り返し行われ、現在の姿となりました。
とある。
ご子息が住まわれていたようだが亡くなられた後で杉並区が購入し、復元プロジェクトを立ち上げて、この12月に公開となった。
この辺りは先にも記事にした大田黒公園と角川庭園、そしてこの荻外荘公園と散歩ついでに見て歩くにはいい所が揃っている。
駅からもそう遠くないので、近くに来られたら歩いてみるといい。