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2月26日

その日の父の行動は見ていなくても全て手にとるように分かる。
日曜日の朝、たぶん7時前には起きてきたはずだ。身支度を整え朝飯の用意をし、仏前に座る。
少しは体調の悪さを感じただろうか。
仏間から居間に移動し、炬燵の前の定位置に座り、横にある電気ストーブのスイッチを入れようと身体を伸ばしたのだろう。
そのまま父は亡くなった。
多分8時前後だろうと思う。

ぼくが実家に入った時、家中の電化製品は冷蔵庫以外、何一つオンになっていなかった。
年寄りなのだから寒ければ暖房のスイッチを入れるように言っていたが、長年の癖なのか最低限の物にしかスイッチを入れなかった。
もう少し部屋を暖めていたら、と思ってしまう。

翌月曜日の午後3時過ぎ、ぼくはもの言わぬ父の姿を見つける。
月曜の朝には必ず電話をしていたのだけど、その日は何度かけても出なかった。
おかしいと思うと同時に嫌な予感が、仕事やあらゆる用事を放り出して名古屋へと向かわせた。

ストーブに手を伸ばすその瞬間も、父は自分が死ぬとは思っていなかったのではないだろうか。
50代の終わりに癒着を起こしていた腸が破れるという大病をして死線をくぐっている。
それからは自分の身体に十分すぎるほど留意していた。
前年の誕生日には「親父(ぼくからすると祖父)と同じ90くらいまでは生きたいな」と言っていた。
あと2年だった。

死因は心不全であると聞かされたが、高齢者でこういった亡くなり方をすると大半は心不全となる。
母だって病院で眠るように亡くなったらしいが直接の死因は心不全だ。
ぼくは経験者だから分かるが、どちらにせよ長く苦しんだわけではないだろう。
それが救いだった。

今日は父の命日だ。
見つけたのは27日だが死亡日時は26日とされている。
写真はすべて2017年2月25日のもの。
父が生きていた時間でぼくが共有できる最後の記録である。

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