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木村伊兵衛 写真に生きる

昨日、東京都写真美術館で開催されている「木村伊兵衛 写真に生きる」を見てきた。

木村伊兵衛翁については、よくご存知の方はよくご存知だし興味がない人にとっては、まったく聞いたことがないレベルかも知れない。

戦前から戦後にかけて活躍した写真家で、市井の人たちを被写体にしたスナップショットをライカを使って多く撮っている。
スナップショットのみならず女優や著名人のポートレートも数多く撮っていて、たぶんその中の1枚くらいは見た覚えがある、という人もいるのではないかと思う。

ぼくが初めて木村伊兵衛翁の写真展を見たのは京都の何必館ではなかったかと思う。
正直に言うが、それまでぼくは木村伊兵衛についての知識はほとんどなく、その展示を見たのも仕事の合間に時間ができたから、という理由からだった。
見ても「ふむ、なるほど」という程度の感想だった。

とりわけ目を奪うようなシーンや被写体があるわけではない。
時代の違いこそあるにしろ、ついさっき、その辺りで見た場面のような写真である。
どうしてこういう写真が、こんなに評価されるのかが理解できなかった。

昨日、東京都写真美術館に行ったのも、そんなに積極的な理由はなく、家人が勧めてくれたからである。

佃 三角公園付近
木村伊兵衛翁撮影

同じ場所に立ってみることで、評価される所以の一端でも見えてくるか、と思い、撮影した場所を何ヶ所か調べて訪れてみたことがあった。

まあ当然の話だが同じ場所で同じような構図で撮ってみたところで、なにか分かるはずがない。
そんなことは自分でも分かっていた。

本郷森川町
木村伊兵衛翁撮影

しかし人々の立ち位置による構図とか写真の技術的なものは別にして、なにも分からないながら「ああ」と合点のいくことがあった。
もちろんこれは、ぼくの個人的な感想であって、木村伊兵衛翁が没後50年をしても評価され続ける理由ではないだろう。

湯島天神
木村伊兵衛翁撮影

もうこれは如何ともしがたいのだが、平たく言えば「時代が違う」ということだ。
木村伊兵衛翁の時代は市井の人たちを撮ることができた時代である。
もう今はそれが叶わない。
なんでも「撮られたくない権利」というものがあるらしく、それによって街角で写真を撮ることが揉め事のタネになるのだそうだ。

もちろん木村伊兵衛翁の時代にも、そういった権利を主張するものや、あるいは本当に撮られてはまずい人もいただろうから揉め事はあったのだろうけれど、今のように口角泡飛ばして権利を主張する人は少なかったのだろうし、突然カメラを向けられても、にっこり笑える人なんか今はほとんどいないのではないだろうか。
上の写真を見ただけでも、この違いはお分かりいただけると思う。
今なら発表するにあたって了解をそれぞれに取って回るか、あるいはモザイクだらけにしないと「権利」とやらを守ることができない。

つまり木村伊兵衛翁のスタイルは、もう今では使えないのである。
写真の賞に「木村伊兵衛賞」というのがあるが、受賞するのは市井の人たちをさりげなく写したりしたものかといえば、まったくそんなことはない。
もう「木村伊兵衛」というのは「イコン」であって、今はもう「ああ、こういう時代もあったんだねェ」と眺めるものになっているのかも知れない。

何だかぼやき節になってしまっているが、木村伊兵衛翁の作品はスナップショットのみではないし、評価される対象もそれだけではない。
確か高峰秀子氏の話だったと思うが土門拳と木村伊兵衛の撮影の違いみたいなことを聞かれて、土門拳はとにかく細かく指示を出し何度も同じことをやらせるのに対して、木村伊兵衛はまったく気がつかないうちに撮り終えているのだという。
なるほど、とニヤリとさせられるエピソードだ。

普通のことを普通にやること。
実はそれが一番難しいのかも知れない。
写真のみならず、何かと装飾に走ったり小手先の技術に頼ったり。
そうではなく、ありのままをありのままに受け入れるのは、受け入れる側の度量や才覚を試される場面でもあるだろう。
木村伊兵衛翁の凄いのは、そういったところで発揮される器量の良さにあるのかも知れない。
ただ、もうそれは後塵が追うことすら許されないのである。
なんとも残念な話である。
まあ時代とはそういうものだ。



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