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肉ごぼうと茄子の田舎煮、かす汁
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ぼくはだいたいこんなものを食べて育った。
父親は昭和4年、母親は昭和8年生まれだったから、こういうものが当たり前だったのだろう。
名古屋は濃いめの味ものものが多いが、ウチは祖父が岐阜県養老の出身で、まぁ田舎風ではあるから食べるものは濃い味のものが多かった。
祖父は釣りが趣味だったが、海とかではなく川のものが多かった。モロコやフナを炊いたりしていたが、どうにも泥臭くてぼくはちょっと苦手だった。
祖母が早くに他界したので(ぼくが生まれる前)、父親が家事をやっていたらしい。
ぼくが知る限りは自ら台所に立つ人ではなかったが、結婚するまでは食事の支度もしていたという。
食べ盛りの弟や妹がいたはずなので、なかなかに大変だったのではと想像する。
母親が亡くなって、しばらくはひとりで暮らしていた父親だが、安否確認で電話をするとカレーを煮込んでいたりしたから、まあ身体が覚えていると行ったところなのだろう。
ぼくもいい歳になってきたから、こういうものも好ましく思えている。
若い頃には見向きもしなかったものだが、こうした煮物の味付けをするにつけ、やはり母親の味を思い出す。
母親の味を意識するようになったのは自分で料理をするようになってからだろう。
当たり前の味だったものが、どんなふうに作られたか。
ぼくの好みはどんなふうに作られたか。
こういった煮物などから想像するのである。