ラビラント(60回目)
ぼくが昔赤線跡巡りをしていた話はチラリと書いたと思うのだけど、そもそものきっかけは永井荷風の「濹東綺譚」を読んだことだ。
当時は名古屋にいたから、吉原や玉の井や鳩の街と言われても想像するしかなく、それならばと名古屋市内にもいくつかあったとされる赤線跡を訪ね歩くに至ったのだ。
ご存知のように赤線というのは法律でも認められていた売春宿が集まっていた場所を言う。
警察署などでそのエリアを地図で示す際に赤線で囲ったことが由来とされているが定かではない。
逆に非合法な私娼街は青線などと言ったりもしたらしい。
荷風の濹東綺譚で「わたくし」がお雪と出会うのは「玉の井」の私娼街である。
これは戦前の話であるから、この玉の井は東京大空襲で焼け、1kmほど離れた場所に焼け出された銘酒店が移転し米軍人の慰安施設としてスタートするが、性病などが流行り軍人は立ち入りを禁止される。
その後に日本人向けの特殊飲食店街となったのが赤線の「鳩の街」ということらしい。
荷風は丹念にこの辺りを歩きロケハンをして執筆したらしいが、そんな事情から正確に物語の場所をとレースするのは難しい。
ぼくもネットなどから、おおかたこの辺りであろうという見当のみで、ほんの短い間歩いてきただけだ。
たぶんこの辺りはシタマチ記録保存館さんが詳しいはず。
ふむふむ、なるほど風情たっぷり。
こんな路地にあった建物の二階からお雪さんは声をかけたりしていたんだろうな。
元ジャイアンツの王貞治さんの実家が「五十番」という中華料理店を営んでいた場所。
今は屋号のみが引き継がれ「洋食50BAN」という店になっている。
ぼくの実家は名古屋市北区にあったが、家があった通りの名前がここと同じだ。
しかし、今日も蒸し暑い。
ここは新宿。
新宿駅って南口は新宿区だけど新南口は渋谷区なんだよね。