レンズを作る
もう10年近く前の話になるが、上限の金額を決めたカメラで撮った写真で写真展をやるという企画に参加したことがあった。
プロアマ混合の異種格闘技みたいな話で面白そうなので乗ったわけだ。
はじめはその金額でカメラを探してみたが、どうにもコレというのが見つからず困っていたときに、ちょっと前に知人に譲ってもらった(タダ)カメラがあるのを思い出した。
元手は0だから、これは金額的にノーカンだろうと主催者に確認したら大丈夫だったのでカメラはもらい物のCanon EOS 7でいくことにした。
カメラの詳細はリンクで。
カメラは決まったがレンズがない。
手持ちのEFマウントレンズを付けると設定の金額を超えてしまうので新しく探さねばならないが、とても新品など買える設定額ではないし中古もまともなのなんかは危うい。
そうなれば小学校時代は図工5の実力で自作するのはどうか、と思いついたわけだ。
とは言えレンズ自体を自作できるはずもないので、それはダイソーで調達することにした。
徒歩圏内にあったので、調達先としてはいうことなしである。
早速見に行くと「ビノキュラー」という双眼鏡がある。
これや!と飛びついてペンチでバラしてレンズを取り出した。
これを厚紙を巻いた鏡胴を作り望遠鏡の構造通りに鏡胴の先に1枚、二重にしたカメラ側の鏡胴の手前に1枚とテープで固定した。
カメラへの装着は、その辺に転がっていたボディキャップに穴を開けて厚紙を貼りそこに鏡胴を据え付ける。
まぁ試作だ、試作。
とりあえず試写してみることにした。
まぁ考えたら当たり前の話で、単に望遠鏡をカメラの前に付けただけなのだから問題なんかあるはずがないのだ。
小学低学年のレベルだ。
これでは図工5の名が廃る。
そこでなぜかカメラレンズの歴史を調べ始める。
レンズを作るんだから基礎知識は要る。
それなら歴史(成り立ち)から行かんと、というなかなかにステレオタイプな発想だ。
カメラの始まりと言われるカメラ・オブスクラにはレンズなんぞなく、いわゆるピンホールカメラだった。
つまり不鮮明な画像でよければ小さい穴(ピンホール)でも映像を写すことができるのだ。しかしピンホールは暗く不鮮明な映像になるし露光時間もかかる。
明るく鮮明な映像が欲しいとなると凸レンズを使えばいい。
でも凸レンズを付けただけでは映像は暗いし周辺が流れてしまう。
明るくするだけならレンズを大きくして光をたくさん取り込めば明るくなるが、やはり周辺は流れる。
もっと広い範囲が写したいとなれば、曲率の大きなレンズを使えばいいのだけど、それでも周辺の問題は残る。
と、まぁカメラレンズの歴史は周辺画質の向上とのせめぎ合いだったのである。
ダゲール以降凹凸を貼り合わせたりして、さまざまな周辺部の収差を抑え込む試みが続き、1890年にアナスチグマートが発明され、球面収差、コマ収差、像面歪曲、非点収差を補正することに成功する。
つまりぼくのレンズはピンホールの少し進化したレベルのものだったわけだ。
いかん。
もう少し進化させないと、とても自作とは言えない。
そこで思案を重ね考えついたのはズームレンズの祖といわれる「トリプレットレンズ」だった。
たった3枚のレンズ構成、中間の凹レンズを前後させることで画角を変えることができる。
おお、これや!これやがな!
鏡胴は厚紙を蛇腹に折り込んで、その1番後ろに凹レンズ、蛇腹の先端に付けた短い鏡胴に凸レンズ、マウントに凸レンズを前後逆にしたもの。
それでできたのがこれだ。
それで撮ったのが以下の写真である。
ちなみに1番前のレンズに紙に大きさの違う穴を開けた紙を貼り付けて「絞り」にしている。
プラスティックレンズなのでシャープさはない。
ガラスのも考えたが高いし重い。
蛇腹にレールとかは付いてないから落っことしてしまう。
艱難辛苦、紆余曲折、色々あったが、ここではかなり端折って書いた。
とにかくこれは否が応でもレンズの歴史と先人たちの努力を思わざるを得なかった。
新品のレンズにあれこれ文句をつける前に一度自分で作ってみるといい。
ちなみに出品したのはこの写真。
いい経験にはなったが、もう2度と作ろうとは思わない。