ATMANの暗黒日記パート⑧(最終章)
やはり、あまりにも口惜しい気持ちがあったのだろう。最後の1年に長くページを割いてしまった。こう書いてみると、自分がやったことを自分がどう思っていたか、よくわかるというものである。
残りの新井さんは?というご意見をお持ちの方もいらっしゃるかも知れないと思ったので、とりあえず、ここに最期に記しておく。
ファンでもその殆どの方は知らないが、彼のライフワークのひとつとして、中国、朝鮮の古美術の収集というものがある。
それを公にしようという考えがあったのだ。実はその氏のコレクションとはかなり貴重なものが多く、地方のある美術館へ貸出をしたこともあるという実績もあったりする。
ぼくは最初、あまりにも自分と畑違いの仕事であったので、これを公にすることに対し少し抵抗があったのだが、音楽業界最期の仕事となれば、なんでもOKだろうということで、鑑定団(笑)の門を叩いてみたのだった。
先方にとりあえず氏のプロフィールとコレクションの資料を送り、検討してもらった。
結果、オープニングの枠ではなく、後半の一般人としての扱いではどうか?という返答があったのだが、これに対しぼくの意として、突っぱねたのだった。
彼のファンは高齢の方も多く、前述した中上健次さんであったり、筑紫哲也さんであったり、永六輔さんであったり、比較的最近で言えば樹木希林さんであったり、すでに亡くなられた方も多くいらっしゃったりするのだが、彼の場合、一般に対する知名度は低いものの、各界の重鎮にはこのようにジャンルを問わず広く愛されてきた漢で、ようは、ピンポイントの層に深いファンを持つという特異な好かれ方をしているのが、彼のファン構造の特徴だったするのだ。
だから、テレビ的な一般の人への知名度という点だけつかれると、それは低い、と、言わざるを得ない現状がある。
そして、この話は、そのまま流れた・・・
結果、それでいいと思っている。
四の五の言っても、判断するのは先方なので、致し方ないのだ。
ということで、悲しいかな、ぼくの企てはこのようにすべて失敗し、音楽仕事を断念したのだった・・・
そして、また、新たな働き方を考えようと、今度、目指したのは、介護業界であった。
理由は、ぼくくらいの年齢になると、前出の運送業や介護業界など、常に人材が不足しているような業界ではないと採ってはくれない。
当たり前の話である。
定年が65歳だとしても、あと10年くらいしか働けないのだ。
そりゃ、若いのを採った方がいい。
そして、ぼくは知り合いにこれらを相談した。介護にも2つあり、1つはメジャーな老人介護。もう1つはこれは少しマイナーかも知れないだけれども、重度訪問介護というもの。
後者はぼくのソウルメイトがやっていたので、どんなものかその内容を知っていたのだが、両者の話を聞くと、たぶん、重度訪問介護の方が自分の性には合っているだろうと、色々会社を調べたところ、ある1つの会社が候補に上がってきた。
その会社名をソウルメイトに聞くと、なんと、同じ会社であると。
フム、なら、それは縁があるかも知れない。
しかも、紹介制度というものがあり、ぼくの採用が決まればソウルメイトにもお金が行くという。
これはいいじゃないかということで、その会社の門を叩いたのだった。前のスーパーを辞め、すぐに先方の面接を受けた。
即、合格。
次週、研修と相成った。
そして、研修日。
実家の母がもはやひとの手を借りないと正常な生活ができないと判断したぼくは、やはり、この機会に実家で母の世話をしながら仕事をしようと、実家から、この仕事の研修にZOOM参加したのであった。
このZOOMへはスマホを介してクロームブックで参加したのだが、最初はよかったのだけれど、そのうち通信が不安定となり、終いにはフリーズしてしまい、その日はZOOM研修に参加できなくなってしまったのだ。
このおかげで、また、次週頭の研修に参加しなければいけなくなった。
前日、なんか嫌な予感がしていて、この日も直接現場へ行こうかと先方に昨夜相談しようと思っていたのだが、時すでに遅しだったのだ。
そして、1週間後。今度はZOOM研修ではなく、直接、先方に研修に行った。研修は2日に渡り、重度訪問介護のなんたるかを教えてくれる。
2日目には実際の喀痰吸引や経管栄養に関する技術も教えてくれ、自らオムツなどをし、お互いにその交換方法も学んだりした。
その後、そのまま、テスト。
普段使わない頭をフル回転させてこの2日の計20時間近い講習を学び、本当に知恵熱が出そうであったが、これをなんとかクリアーし、合格した。
ヤッタ👍
結果、そこにいた全員が合格だったので、実は簡単なものだったりしたのだろうが、自分がこの歳で資格を取れて、なんらかの仕事に携われるかと思うと、心が少し弾んだ。
そのまま、面談。
こちらの要望を聞くらしい。
ぼくはここでッ?と思ったのだが、ここで聞かれた内容はぼくがすでに面接の時に聞かれていることしか聞かれなかったからで、ようは、先方で情報の共有化がされていないということなのだが、ぼくはそこでもまた自分の実家の住所を言い、出勤スタイルと夜勤週5という条件を提示した・・・が、
「いま、そのエリアには患者さんがいないのだけれど、仕事はたくさんあるので、ちょっと待ってください」
ッ?
だったら、面接の時に、それをぼくにすぐ言うべきじゃなかったのか??
しかも、すでにそれは面接の時に先方には伝えてあるので、この面談の意味がぼくはわからなかったのだが、2日の研修で疲れたぼくは、先方に返す言葉もなく、そのまま事務所を後にしたのだった。
先方的には、すぐ働き口が見つからない場合は、その研修を受けた事務所で実地の最終研修を受け、国の認定書を渡すので、ここ2〜3日くらい様子を見させてください、というアナウンスが事前に入っていた為、ぼくは黙って沙汰を待っていた。
ところが、3日過ぎても一向に先方から連絡が入る素振りがない。先方いわく、ぼくのエリアにはいま仕事がないと言っていたから、それを検討してくれているのだろうと、先方もかなり忙しようであったので、月末までその回答を待とう。
それから約2週間が過ぎても、先方からはなにも連絡が来なかった。ここでもほとんどッ?となっているのだが、これも縁だからと自分に言い聞かし、研修の件どうなっているかとのぼくの問い合わせに、テストの時に友達申請していたLINEに労働条件送ってくれてました?ハッ?そんなの現場で全然聞いてないし、第一、ぼくは面接とテスト後の面談でも同じ話をしている。しかも、いま話している相手は面接の時の彼だ。
ぼくはそれでも言った言わないは嫌いなので、言われた通りLINEにすぐ例の条件をメールした(3度目)。ほどなくすると、彼から
「その条件に合う案件はいまないのです。住居、近くの日勤週3ではだめですか??」
ッ?
こっちははなから夜勤週5でって希望出しているわけだし、夜勤希望ってのは、それだけ収入を欲しがっているからそれを望んでいるわけで、それを週3の日勤って一体何考えてんだと思ったが、先方からすぐさま
「ありました!スミマセン!!」のメールの後に
「残念ながら、その方、また、2月いっぱい入院になってしまったようなので無理でした、ゴメンナサイ」
まさに、ここでのぼくの感情はジェットコースターである。
「で、週3の件、どうします?」
ぼくはこのくだりで流石にこの仕事を諦めていたのだが、それでも、やらないことにははじまらないと、とりあえず、そのまますすめてくださいと先方に伝えたのだった・・・が、今度は現場の人間から3日間連絡が来ない。これに対し、さすがに頭にきていたので、こういう状況ならば、社員というパターンでも検討可能とのことだったので、その方が採用しやすいようであればそれも検討してください、と伝えた。
ここで、ぼくは再度、面接などにこぎつけ、先方の上司に、こういう採用のやり方でいいのか?ぼくがすべて是正します、と、逆に売り込んでやろうと考えていたのだ。このままタダで辞めるのは口惜しいので。
先方はこれに対しまずはじめてみて、そこからでも遅くはないと思うのですが、とりあえず、諸々検討させてください、との回答があり、今度は間を5日くらい空けて、今度は前回紹介された現場の担当から連絡が来た・・・
が、そこでその現場の出勤日程など前に聞いていた条件だけを伝えられ、それで大丈夫か、との問いに、それは社員を検討して頂いている上でのスケジュールか、とのぼくの質問に対し、一旦、社内で確認の後、先方からは、まずは研修含め仕事をはじめてみてから、という回答だった・・・
アホかと思ったが、とりあえず、初日を待った。
が、最初の仕事が始まる週の頭(ついこの間)、なんか猛烈にこの仕事をしたくなくなり、その現場の担当者に少し相談にのってもらったのだった。
この条件をのんで仕事をはじめるにしろ、そして、3月から入院されてる方が帰られてぼくがその現場に入るにしろ、1人の方の夜勤には最高週3くらいしかシフトの関係で入れないようで、前出の面接担当者はそのぼくの不安に3月になったらすぐその方に切り替われると応えてはいてくれていたのだが、じゃ〜ぼくがこれから2週くらいに渡って研修を受けさせてもらう患者さんには、ぼくはどう接すればいいのだろうか??
次が決まったので、ほなサイナラとはぼくは言いたくはないし、第一、そんな短期間に担当者が代わるなんて患者さんに失礼だ。この手の仕事はそのように安定した環境配慮が患者さんにとっては必要で、とすれば、ぼくはそのまま週2だか週3をその日勤をやり、後を前述した方の夜勤に入る、そんな図式になるわけで、とすると、昼間と夜の仕事となり、体が不安定になるのと、そして、収入ももちろん希望に合うものにはならない・・・
そもそも、いままでのこのずさんなやりとりは、一体なんなのだ!!
こんなのにこれ以上振り回されるのはゴメンだ!!、ということで、ぼくの就活はまた振り出しに戻ってしまったのだった・・・
元々忙しい現場で、書類等のやりとりには不安があるとソウルメイトから事前には聞いていたのだが、そういうことだったのか。
ぼくの以前ブログに書いた、自分の乗っていた車から自分が知らぬ間に抜き出て、その車を後方車にふっ飛ばされた夢を観たのだが、それがこうして的中してしまったということなのである。
そして、ぼくの暗黒日記は、いまも尚、続いているのだった・・・(完)